1.障害への配慮

1.障害への配慮
2.人に優しい世の中
3.毎朝の通勤
4.国道375号線

国のハートビル法や交通バリアフリー法などの法制化や自治体の施策などのお陰もあり、近頃はかなり障害者やその人たちの障害について理解している人も増えてきていますし、少なくとも理解しようという機運になってきています。しかし、実際に配慮が施行されているという現場を見てみると、それぞれの会社の方針なのでしょうか未だに建前の施行になっていることも多いようです。エレベーターなどが改札口から遠く離れていたり扉に鍵が掛かったりしているのを見かけると残念な思いがします。
 つまり、障害者に対する配慮の多くがどちらかといえば当たり前の権利への配慮ではなく、健常者に対するオプションとしての位置付けになっているのです。ユニバーサルデザインが世の中で言われるようになってからも随分時間が経っています。これは誰にでも便利だとか特別ではないデザインのことを指していますが、多くの人に共通に便利なものとして街づくりには欠かせない思想というか考え方です。

 良く引き合いに出されることの多い視覚障害者のための誘導歩道ブロックですが、少し気になっていることがあります。もっとも、街中では点字ブロックの上に自転車や看板が置かれて占拠されたりしているので、今後、更にみんなの理解を求めていく必要があるのですが、ハートビル法や福祉の街づくり指針では道路から公的な施設の玄関までは連続した設置が指導されています。

しかし、新しく作られた建物でも正面玄関などの一番端っこにひっそりとスロープを設けることが多いような気がします。門から真っ直ぐ敷設されているプロックが玄関前の階段の手前の処で突然角度がついてぐるりと遠回りになり脇のほうへ迂回してしまうのです。その誘導ブロックは目の不自由な人たちのために敷設されているものです。多分、誘導ブロック沿いに歩いてきた人は突然向きが変わり戸惑うのではないでしょうか。それとも、またかと思うのでしょうか。
多くの場合、真っ直ぐに敷設してその延長上にスロープを設けることは難しくないし、可能なのに余りそうしようとは考えられないようです。
何故、不自由な人をわざわざ遠回りをさせるのでしょうか?設計者のデザインへのこだわりの問題でしょうか。しかし、できることをほって置いては本当の良いデザインとはいえないでしょう。正面にスロープを設置すると使い勝手が全く悪くなって全体を壊してしまう場合は別として、殆どの場合は双方を満足させるデザインができるだろうと思います。
 つまり、そのような結果は技術的な問題ではなく、建物の計画に関わる設計者などの思想あるいは心の問題ということが出来ます。この心の部分が変わらない限り、いつまでも見せ掛けの障害者や障害への配慮は誤って造り続けられていくことになりかねません。