近況パート4(2002.4.21)
広島へ来て、というより、賀茂郡黒瀬町に引っ越してきてもうひと月が過ぎてしまいました。授業も既に始まっています。学生達は、まだ緊張しているのか、大人しく、一人ひとりの性格まではまだ良く分かりません。いつぐらいから打ち解けて話ができるようになるか期待しています。いろいろな出来事が、あっという間の時間に過ぎたような気がします。しかし、あっという間とはいえ、ひと月の間には身の回りに様々の出来事が起きています。生活のための道具などを揃えるだけでも時間・金銭を含めおおごとでした。その間、自分の事だけにかまけていた訳でもないのですが、今までやっていたことに何も手を付けられない感じでした。中でも、気になっていたのはホームページの更新が出来なかったことです。ホームページは私が管理しており、その発信を東京からしているせいもあり書き換えが難しかったことと、落ち着いて原稿が書けなかった事があります。しかし、ひと月も経つとそうも言っていられないので何か方法を講じて書き換えて発信することにします。
黒瀬町があるのは広島市の東側で大学の社会環境学部のある呉市の北部に位置しています。周りを割と近くの山々に囲まれ、私の生まれ故郷に似たのんびりとした雰囲気の賀茂台地という地域になります。呉市へは、車で30分程度ゆるい坂をずっと下っていきます。
こちらへ来てまず良かったことは、好きなさくらの花を長期間楽しめたことです。今年は東京の桜もなぜか咲くのが早くこちらへ来る前に咲き始めましたが、こちらは少し寒いのか東京の後に咲き始めたようで、ずっと花が咲いていました。今は八重桜が少し残っています。多摩市も桜が多くきれいなところですが、こちらも結構良いかなと感じています。桜のほかにも、淡い紫色の藤の花や黄金色の山吹も咲き誇り、最近は印象的な白やピンクの花水木も咲き始めています。ちなみに、呉市の中心街の街路樹は白い花水木で、とても街並みが爽やかな感じがします。
近況パート5(2002.5.5)
結局、前回分を直ぐに発信できなかったので、まとめて今回二回分を発信します。前回分は少し古い記事になりますが、ご勘弁ください。
先日、やむを得ない事情でどしゃ降りの雨の日に鹿児島へ車で行き、一泊のとんぼ返りをしてきました。往復で約千3百キロ程度もあり結構ハードな旅ではありました。往きは車輪が雨に取られ瞬間スリップして蛇行し肝を冷やしたり、帰りは山口あたりから濃霧で視界が悪くなり大変でした。西条インターで高速を下りた後は、更に霧が濃くなり視界が50m程度となりのろのろと帰りました。何とか7時ぐらいには住まいにたどり着きましたが、さすがに少し疲れました。とはいえ、日中あちこちで見かけた木々の芽の柔らかい新緑やそれらにまけじと存在を主張して咲き誇る花々など、改めて今の芽吹きの季節の素晴らしさを見直し、やはり日本は良い国だなどとハンドルをにぎりながら一人ごちしておりました。
山陽道も九州道もトンネルが多いのが難点(23箇所連続のところもありました。)でしたが、トンネル以外の山あいに見える風景は、淡いパステル画のようでお互いの色が解け合ったような渾然一体とした有様で、それはもう素晴らしい心を癒してくれる風景でした。そのお陰もあり雨や濃霧で緊張の連続だった割には帰ってからダウンしないですみました。しかし、その後すぐゴールデンウイーク中に、家に置いてあるカラープリンタを持ってくるため車で東京往復をすることになりました。今まで、車はたまに仕事で遠出に使うか土日ぐらいしか乗っていなかったのですが、乗れなかった不足分の距離を一気に今回かせいでしまった気がします。帰りは作戦をたて夜中に走ったので割とスムーズに流れましたが、途中、岡山辺りからどういう訳かまた雨に降られあちこちでスリップ事故などがあり、緊張しました。片道850q程度ですから往復千7百キロで二週間で三千キロも走りました。車に乗るのは好きなほうですが、雨や霧の中のドライブは余分な神経を使い楽ではありません。今日はそのせいか腰が少し変な具合です。
近況パート6(2002.5.20)
こちらへ来てからあっという間に一月以上が過ぎてしまいました。新入生は五月にはいると五月病という病気になると良くいわれているようです。私も学校の先生としては新米で新入生のようなものですが、最近になって友人達が心配してくれているのかどうかは分かりませんが、「大丈夫か?」とメールをもらったりしています。しかし、私自身は、今までにロンドンでの半年間やクウェートの9ヶ月間の海外滞在や今回の引越しを含め、小さい頃から計十数回も引越しをしているせいか、環境の変化には割と順応能力があるようです。その意味では五月病は私とは無縁で大丈夫のようです。元来は、社交的なほうでもないのですが、毎年秋に出かけていたヨーロッパの海外研修などで出会った人たちと今まで年賀状などで連絡を保っています。その人たちが全国に散らばっているために、今回、知らない土地である広島へ来ても直ぐにその人たちとの連絡ができる分、その友人たちを通してその土地を少し知っているような気分になり、余分な不安がなくなり助かっています。そして、持ち前の好奇心がその土地に適応させるのを助けているようです。住まいのある黒瀬町の両隣の西条や呉は歴史のある町で今後の探検が楽しみなところです。西条は全国でも酒処としても有名ですし、呉にも良い水が沸き銘酒があるようです。その他、来て早々興味を持ったのですが、この地域の特徴的な屋根瓦があります。棟瓦、鬼瓦がとても種類も多く面白い形をしています。百聞は一見にしかずと言いますから写真を撮って近いうちに紹介したいと思っています。
しかし、引越しは手続きやお金が掛かるという意味で本当に大変なエネルギーの必要なことで、事業といっても良い程のものです。特に今回は東京に住まいを残し二重生活をしていますから費用の出費がかさみ改めて驚いています。少しずつ整理していく必要があるようです。
近況パート7(2002.6.4)
先週末は東京方面から三人の友人の訪問があり、こちらへ来てまだ果たしていなかった広島市内へやっと出かけ美味しい魚を食べることが出来ました。友と会うのは嬉しいものです。久しぶりの広島は思いがこもっていたせいか、よそ者の私であるにもかかわらず何か懐かしい感じがしました。来た当初は、友人に会いに直ぐにでも行けるものかと思っていたのですが、黒瀬から西条へ出て広島へ行く約一時間程度の経路が少し遠く感じてなかなか思い切れなかったのです。やはり、思い切って足を延ばして出かけた方が良いようです。それでも、少しずつ行動範囲が広がって新しい発見もまた増えています。西条からの帰り道タクシーの運転手さんに、鬼瓦、棟瓦の瓦屋さんを二件ほど教えてもらいました。前回も少し触れましたが、賀茂台地の民家の屋根にとても面白い形のものが沢山見かけられます。これでまた次に出かける楽しみが増えました。早く色々な形をした面白い瓦を写真に撮って早く披露したい気持ちで一杯です。
また、学校の行き帰りの花の景色も先週までは黒瀬川の堤一面に圧巻と言うほど見事に咲き誇っていた真黄色い菊がすっかりなくなってしまい、数日前とかなり違う風景に変化してきています。そして、あちこちに生えていた竹の子はすっかり延びて今では立派な竹になりつつあります。また、あちこちに栗の花が咲いているらしく独特の匂いをさせています。呉までの三十分の通勤路の両側はすっかり緑の多い初夏の風景に塗り替えられました。道の両側ではかなり遅い田植えが今もちらほらと行われていて、鯉のぼりが風にはためいていた頃から今まで、かなり長い田植えの期間だったような気がします。現在は、かなり青々と逞しく延びた田んぼと弱々しく風に吹かれ生えている田んぼとが混在しています。田んぼの中ではかえる達が昼間から大声で鳴き競ってうるさいことしきりです。
近況パート8(2002.6.12)
今日は、少し買いたいものがあったので同僚の先生に教えてもらった画材屋さんと文具屋さんを見つけに昼に呉の中心街へと出かけました。梅雨入りだというのに余りにも良い天気なので、広から海岸沿いに潮風を感じながら音戸大橋のほうへ車を走らせました。道も空いていて、戦艦大和のドックを横目に見ながらあっという間に呉市街に着き、川沿いの堀川駐車場に車を入れました。駐車幅の狭い駐車場の1階に車を置き、目的の店へ向かいました。駐車場を出て橋の上から川を覗くと、浅い流れの中に10センチぐらいの小魚が日の光にキラキラと鱗を光らせながら群れをなして泳いでいました。3メートルぐらい下の橋の陰になっている護岸の水際に太い縄のようなものがあるので目を凝らすと、それは太さ7センチ、長さ2メートル以上は優にあろうというその地域の主のような青大将でした。別に好きなわけではないのですが、なぜこんなところに居るのだろうという自然の驚きと久しぶりの光景に心臓がどきどきし、5分間くらいその場を離れずつい眺めていました。数メートル先のその姿からは間違いなく生きているオーラが出ているのですが、全くピクリともしません。ただ、私がじっと眺めていたせいで青大将が少し緊張しているように見えたのは気のせいでしょうか。
めったにある光景ではないような気がしたので、そこを通る人に存在を教えてあげたかったのですが、残念ながらその時は脇を誰も通りませんでした。こんな時はこんなものですね。
数年前、多摩市の私の家の近くで同じぐらいの大きさの青大将を2メートル位の近さで通り過ぎるのを見て以来です。その時は、今回と少し違い余りにも近くに現れたのでビックリした驚きだったかもしれません。しかし、まだまだ自然の多い多摩市と違い、呉の中心街はかなり開けています。都市の真中で蛇が生き抜いていくのは大変でしょうから、その大きさになるのはよほどの幸運だったのでしょう。餌はどうしているのだろうかとつい要らぬ心配をしてしまいました。しかし、そのお陰で呉市の自然が今も消えず残っていることが分かり改めて呉を見直し感心しました。画材屋さんと文具屋さんは中央通りと本町通りにすぐに見つかり少し買い物をして、コーヒーを飲んで学校へ戻りました。今日は何か得をしたような気分でとても良い1日だったような気がします。
近況パート9(2002.6.21)
あれだけ全国的に盛り上がっていたサッカーも日本が負けて以来、少し静かになったように思うのは私の気のせいばかりでもないようです。日本国中が何となく熱が引いて静かになっています。私も、今日の実質的な決勝戦といわれるブラジルとイギリスの試合も18日の時のようには帰って絶対見なきゃという焦りは特にありません。しかし、先日の隣国のあの熱意と興奮には驚かされました。画面からもありありと伝わっていました。皆さんはどう思われたでしょうか。ひょっとして次も勝つのかもしれません。あの怒濤のようなサポーターの熱気が気となって選手に乗り移るような気がします。日本人はその点では少し淡泊過ぎるのでしょうか。
さて、今日は珍しく東京のオフィスから発信しています。広島へ行って以来、東京から発信することはなかなか難しく、久しぶりのことです。いざ、ホームページを目の前にするとああもしたいこうもしたいと際限なく欲には限りがありません。もっとも、実際には少しずつしかできないのですけども。2月にはギャラリーが3月からはコラムなどのページが増えて、もっともっと大勢の人に見てもらいたいと思っているのですが。
今回はヒットしてもらいやすくしようと思い、表紙の項目を具体的ものに少し変えてみました。去年の暮れに立ち上げてから、早く来訪者数が4桁にならないかと楽しみにしているのですが、これでなかなか4桁になるのも大変なことなんですね。4桁どころか5桁、6桁と来訪者の数の多いホームページを見るたびに羨ましく何とか私のも増やしたいなと思っています。
近況パート10(2002.7.1)
今日は、梅雨の合間に訪れた雨上がりの、くっきりと鮮やかな山肌から立ち上る白い霞がまるで水墨画のような風情を風景に添え中々素敵な日でした。心なしかうっとうしいどんよりとした空気も洗われて遠くまでくっきりと見え、何か清清しい感じさえしました。今年は空梅雨かと思っていましたが、天気予報は当たったようです。当たりついでで言わしてもらうと、ブラジル対イギリスの2対1と韓国のベスト4入りは予想が当たりました。もっと良いことが当たると良いのに。
先日、車で学校への出勤の途中、家を出て直ぐの道路の真中に布切れのようなものが落ちているのでよく見ると狐の轢死体でした。思わず手を合わせましたが、むごいことです。東広島市の北部に住まいを構えている知人の家の近辺には鹿や狸が住んでいて、木の芽を食べに来ると聞いて半信半疑だったのですが、これで本当だと言うことが分かりました。さすがに自然の濃いところです。前々回にコラムに書いた呉市街の橋の下の2メートルを超す青大将にしても、容赦なく責めつける人間達の迫害にもめげず生き延びている彼らの生命力はたいしたものです。それにしても、このような場面に出くわすと、改めて人の営みは彼らの生活を急速に奪っているのだと言うことを実感します。と言いながら、その自然の恵みに何をするでもなく安穏と身をゆだねている自分がいます。なんと人間は身勝手な生き物でしょうか。せめてこれから、生まれ故郷ととても似ている、山に囲まれ自然多い素晴らしい環境がいつまでも保全されることに協力し、いつまでもその恵みを享受できるようにすることを少しは考えてみようと思います。
広島だより13(2002.8.6)
広島の地に住んでこの日を始めて迎えることになった。原爆の日である。
遠くにいる時よりもその地に居て聞くニュースの方が、57年も前のことではありながら身近なものに感じられ、当たり前のこととして耳に入ってくる。
毎年この日には、テレビは朝からどの局もこの関連のニュースを流している。8時15分、原爆の投下されたその瞬間に亡くなった家族を持つ人にとっては、時間はその時点で凍りつき、今でもその時の想いのままの人も大勢おられる。今でも、アメリカの行為をどうしても許せない人もいる。当時、猿楽町の原爆ドームの隣に住んでおり、自分は疎開していたため助かったが母親と弟を亡くした方が、一瞬に消えた昔の街の様子を生存者から丁寧に取材してCG化して記憶を後世に残して伝えようとしている姿が流されていた。その後、娘さんがアメリカに嫁ぎその時は相当に悩まれたそうである。聞くと、今回のCG化を機にアメリカへの想いも別の形に昇華していこうとしているのだそうである。
日本の国にとっても、とても簡単には癒せそうにない、深い悲しみの傷跡のはずであるが、テレビに映し出される画面に見える人々の表情からは必ずしもそれは読み取れない。平和宣言の流れている横で千羽鶴を手に写真を取っている人達もいる。それぞれの想いの程度の違いが相当にできたような気がする。
戦後57年も経つと事実を知らない人が増えてやむを得ない部分もあるのかもしれないが、平和すぎる人を見るたびに何か心の奥から切ない想いが同時にこみ上げてくる。このような一種平和ボケの人達が、過去の悲惨さを知らなかったという理由で簡単に次の戦争をまた招いてしまうことになるのではないか。人間にとって戦争をすることがプログラムされているかのようなイスラエルとパレスチナの気の遠くなる長い争いを考えると一層その想いが募る。
今年、広島の秋葉市長は平和宣言の中で憎しみと暴力により報復することより和解の道を選択することを考えようと訴えている。しかし、アメリカのブッシュ大統領は、9月11日の事件以来、アメリカNO.1の威信を取り戻すためかどうしてもイラクを攻撃したいようで、訪れた不況の挽回策とばかりに準備を整え虎視眈々とそのチャンスを狙っているかに見える。また、イスラエルの執念深い好戦性を見ると何か呼応して危険な道を進んでいるような気がする。今、読んでいる本によると旧約聖書の文字の中にコンピューターでしか解読できない暗号が多数隠されていて、2006年までにイスラエルが中東のどこかから核攻撃をされて世界戦争になるという。この予言に対する予防策としての先制攻撃なのか。本の信憑性は別に論じるとしても、どう見ても度重なるイスラエルのパレスチナへの攻撃そのものが民間人を巻き込むことを初めから予想した過剰なもので、テロに対抗する手段としても何か正当性を欠いているように感じるのは私だけだろうか。イスラエルの主張と全く逆にむしろ彼らが世界戦争を誘発していそうな予感がしてならない。これだけはどうしても杞憂に終わって欲しいことである。
それにしても3千年前になぜ未来を予言として聖書にプログラムできたのか。宗教者はこの予言者を神と考えているが、繰り返し起きる取り返しの付かない悲惨な戦争を考えるとどうやら神はいないようである。しかし、何もプログラムどおりに愚かな破滅の道をたどる必要は無い。せめて、「人間よもう少し賢くなれ」と思う。日本はそれを考えることのできる唯一の民族のはずである。
広島だより14 酒のこと(2002.8.26)
酒は造られたその土地で味わうのが良い。東京にいれば殆どの銘柄は揃っているので全国各地の銘酒を飲むには事欠かないし、それはそれで美味しいのだが、やはりその土地へ出かけて飲む酒の香りや味はまた格別で、土地の空気や雰囲気と一緒に飲む感じがして気分も酔い心地も微妙に違ってくるのである。これは、分かる人には同意していただける話であろう。今までにも、出張先で偶然に出会った美味しい地酒が幾つかある。スキー正宗、加賀鳶、黒帯、瓢太閤などである。気に入ったものはそれ以後、自分の酒として大切にしている。再度、その土地を訪れる時にはそれにまた会えると考えるだけでも行く前から楽しみである。土地土地で昔から飲まれ続けて今もあり続けている酒は、その土地の水や米で造られているので自然と風土に合ったものになっている。そういった酒は、地元の人たちの厳しい舌の洗礼を長年受けて生き残ってきたのだから、どれをとっても基本的には美味しくないはずが無いのだが、その中でまた自然と自分のお気に入りができるのである。また、一緒につまむ肴もその土地の食材を使って調理されているためか酒と良く合う。勿論、酒だけをひたすらに嗜む方も居られるがそのような方はこの話からは対象外である。私個人としては、酒は美味しい肴と一体となってなおその美味しさを高め合っている気がする。土地の旬の肴を箸でつつきながら暫しの時を過ごせることは至福の瞬間である。
さて私は、この3月末に広島県の黒瀬町へ越してきた。隣町は賀茂鶴、賀茂泉などを産する酒所として有名な東広島市の西条町である。東京にいるときには広島の酒としては賀茂泉を飲んでいた。こちらへ来てから知人の紹介で賀茂輝という蔵元を見つけてから、最近はそこの酒に凝っている。大量に出荷はしておらず、少しの酒をしっかりと作っている蔵元で玄米酒や赤米酒や原酒などがある。どこの酒も原酒がそこの特徴を現わして一番美味しいと思うが、赤米酒はとても軽いワインのような酒でこれも中々良いのである。また、思いがけず勤務先の大学のある呉市もとても良い水が湧いているところのようで、千福や雨後の月などがある。雨後の月は東京にいるときから古酒リストに載っていたので名前だけは知っていたが、こちらに来るまでまだ飲んでいなかった。通勤途中の酒屋の看板に惹かれて買って試してみた。大吟醸、吟醸があるが原酒がやはり美味しい。その他、三原の酔心なども全国的に名が通っている。数え上げてみるとやはり広島は酒所として十分な美味い酒があるのが分かる。きっとまだまだ次の広島の良い酒と巡り会いそうな予感がしている。
広島だより15 美味いもの(2002.9.5)
こちらに来ると決まってから、楽しみにしていたものの一つに広島の食べ物がある。誰でも知っている有名なものとしては、牡蠣や松茸そして宮島の穴子などが挙げられるだろう。転居通知に友人達から返ってきた葉書には広島は酒と食べ物が美味しくて羨ましいと言う言葉が大変多かった。なかでも瀬戸内海の魚が美味しいというものである。しかし、こちらに来てから気を付けて探しているのだが、そこそこのものはあるのだが少し値段が高いような気もし、私の探し方のせいか残念ながらこれぞという安くて美味しい魚には、まだお目にかかっていないような気がしている。しかし、穴子やちぬやたこやいかは確かに安くて美味しい気と思う。小いわしが旬になればきっと美味しいだろうと楽しみにしている。こちらに3月末に来て早々は、まだ牡蠣が食べられるかと思っていたのだがどこの店でも全く見かけなかった。昨年末から広島産のものは特に呉の前海あたりのものは牡蠣毒で駄目だったそうだ。後、何ヶ月かすればまた牡蠣の季節になるが、今年は大丈夫だろうか。秋になればもう一つの味覚の王様である松茸の季節でもあるが、何年か前から赤松が大量に枯れているため毎年採れるのが減っているそうだ。豊かに見える自然もどこか歯車が狂ってきているらしい。今年はなぜか続いてよく来る台風の被害もないと良いのだが。
とりあえず探し当てたものを一つ挙げるとすれば、音戸ちりめんを挙げても良い。学校から海岸沿いに30分弱ほど車を飛ばすとつつじと螺旋橋で有名な音戸大橋がある。橋の下の音戸瀬戸は幅が40m程度の狭い急流の海峡であるが、清盛がその昔陸続きだった半島の狭いところを掘って海峡にしたという言い伝えのある場所であるが、橋を渡った音戸町側のその橋の袂に「なばら」と言うお店がある。聞いた話なので真偽の程は確かではないが、呉側にも広島市にも何軒もあるそうだが、その店ともう一軒の店だけが音戸町で取れたもので作っている本場の音戸ちりめんだそうだ。私はこういう由来に少し弱い嫌いもあるが、白くすっきりと干されていて見た目にもきれいで、自分で食べてみて本当に美味しいと思ってその後は欲しい人がいれば車を飛ばしてその店に買いに行っている。ちりめんは7月ぐらいから獲れたものが見た目も白くきれいに干されて一番良いものができるそうだ。
広島だより16 美味しいものU(2002.9.12)
先週に続き図らずも今回も食べ物の話になった。それにしても美味しいものについて書くことはそれだけでも楽しくもあり書くのも楽でもある。先週は久々に5日から8日まで北海道へ出かけた。昔から参加している研究会が札幌で開催されたからである。札幌はある会社の支店ビルを建てて以来何年ぶりかの訪問で、行く前からわくわくしていた。奥さんが札幌の出身であり数日間帰郷する知人のご夫妻と同じ飛行機なのは前から分かっていたが、それに加え、思いもかけずと言うのは矛盾だが、当たり前と言えば当たり前の話なのだが同じ研究会に出席する広島の昔からの知り合いのドクター2人に出会った。空港待合で彼らと久しぶりの会話が弾んだ。あっという間に二時間後到着し、千歳空港駅からは蟹とウニの二色弁当を買い込みご夫妻とエアポートライナーで札幌へ向かった。弁当は大変美味しかったがいささか上品な量でもあり数分で食べ終わった。隣り合わせた人も含め話が弾み、あっという間に札幌へ到着した。楽しいと何事も時間の経つのが早い。
到着した夜は研究会出席の福井県立大の先生を誘ってすすき野へ直行し、あるビルの2階にある「北海」という店に行った。ここは以前、仕事で来ていた時に教えてもらった店で千葉の市川出身のママさんが切り盛りしている北海道の魚中心の店である。春先にはママさん自ら採ってくる山菜がとても美味しい。8人程度が入れる上がりが三間とカウンター席が10数席の小さくは無いが割とこぢんまりとした店である。ほっき貝やA4サイズぐらいの大きさで油の乗ったほっけ焼きに驚きながらなぜか奄美の焼酎を傾けた。3cmぐらいの十分な太さのタラバ蟹の足を山盛りにもらい食べたその美味しかったこと!思い出すと今でも生唾が出る。そして、キャベツ、茗荷、紫蘇などの浅漬はその塩梅が絶妙だった。二日目は研究会の懇親会で総勢350人ぐらいが「サッポロビール園」に集まり最高に盛り上がった。隣りの工場の閉鎖が決まったばかりだが、知らぬかのように賑わっていた。ここは今までに数回来ているが、肉がラムの生肉になっておりくせも無くとても美味しくなっていた。それにしても、総勢が食べた肉の量はどのくらいだっただろうか。三日目は伊豆から来ている6人のグループに誘われて、少し抜け出して小樽へ行った。小樽を知っているといったのが運の尽きである。駅近くの鮨屋を目指し昔来た記憶を頼りにとにかく辿り着いたが、建物が3階建てに新しく建て替えられており見た目はちょっと高そうな門構えになっていた。それと良くあるケースで美味しくなくなっているのではと皆を連れてきた責任上いささかの不安がよぎった。ここは「伊勢鮨」という店で、昔、鮨屋横丁より美味しいと聞いて訪ねた店であった。混んでいたので時間を見計らって戻り、やっとありついた。コースの安い方を頼んで最初に出てきた前菜の岩のり木耳は後に続く料理の味を示しているようで一気に期待が膨らみ不安はとこかへ飛んでいった。7品ぐらい出てきたが、握り寿司を初めどれもバランスよく出来ており楽しんだ。前菜が美味しいねと店の人に言うと、お土産に瓶詰めを造っているとのことで我先に皆が注文した。2本注文した人が5人もいたことでその美味しさを想像して欲しい。皆、大満足で次の南樽市場へと向かった。ここも私の知っている「櫻井鮮魚店」があり、皆をそこへ連れて行った。私は、毛蟹とほっき貝を4個、いくらの醤油付けをその場で作ってもらいスチロールの箱に詰めてもらった。毛蟹は3500円だがかなりの大きさと重さであった。あと、身欠きにしんとニシンの糠漬けを買い込んで、提げていくのにはかなり重い買い物となってしまった。皆もそれぞれ送ったりして喜んで札幌へ引き上げた。提げて帰って食べた浜茹での毛蟹と熱々のご飯粒が見えないくらいに大盛りにかけて食べるいくらの醤油付けの美味しさはもうここに書くまでも無いだろう。勉強をしつつその合間をぬって美味しさを求め移動するこのような旅もまた良いものだ。
広島だより17(2002.9.24)
急に空の色が透明になり、高くなったような気がします。雲の形も小さくなり、秋の気配が濃くなってきました。朝夕はめっきり涼しくなって、五時頃に寒くて目覚めたりすることもあります。出かける時、上着を着ていても暑くは感じなくなっています。賀茂台地の水田の稲穂は、今年は台風にもあわなかったので、しっかりと黄金色に重く頭を垂れています。早く刈り採られた田んぼでは、稲が竹のやぐらにまたいで干され乾燥を待っています。また、切られたばかりの稲っ子が久しぶりに現れた黒い土の上でやけにくっきりと目を引き、目を転じるとあちらやこちらで細い煙が真っ直ぐ立ち昇ったりしています。呉への通勤や西条への買い物などの時に毎日通る一本道の375号線の両側は、程度の差はありますが色づいた木の葉もちらほらと見かけるようになりました。柿も少しずつ色ずいているようです。その内、こちらの有名な西条柿にもぜひお目にかかりたいものだと思っています。また、実りの秋が来れば、待ちかねた松茸や牡蠣もそろそろ出回ってくるのではないかと思います。そして、隣町の酒都(こちらではこのように言うのです)西条の酒祭りも10月12日、13日とやってきます。全国から多くの蔵元や大勢の人たちがやってくるようです。なんだか楽しくなってきますね。私は12日は呉校で初めての大学祭があるのでそれに参加し、13日に何人かで出かけようと考えています。こうやって、こちらへ来て半年が過ぎてみると、少し気持ちがリラックスしたような気がして、都会暮らしよりも田舎生活が性に合っているのかなと思ったりしています。特に、小学4年生までいた生まれ故郷の雰囲気に少し似ていることがそう思わせているのかもしれません。三つ子の魂のくちでしょうか。あるいは、車を運転して外の景色の変化に毎日触れながら通勤する時間のお陰かもしれません。東京では満員の身動きひとつできない通勤電車の中で、小突かれたりしてもひたすら耐えながら目を閉じて、多摩センターから原宿までの一時間を過ごしていましたから。
こちらでは、道路沿いに何箇所かその近くの農家の人が出している農産物の常設の屋台があります。無人のものと人が居るものとありますが、新鮮なものが安い値段で売られています。季節毎に結構色々なものが並べられて、面白いものです。五月から六月頃には、皆さんが普通食べている孟宗竹の竹の子より少し遅く出る真竹の竹の子なども置いてありました。私の田舎でやっていたように、そいで若芽と味噌汁などにすると美味しいものです。ちょっと前には取れたての路地物のトマトやきゅうりやなすなどが並び、今はそれに大粒の栗などが置かれています。スーパーなどのものと違い、地物は土や太陽の香りがして旬を感じさせるような気がします。数日前、郷原大橋の近くの屋台で栗を売っていたので一袋買いました。大粒の栗20粒ぐらいで300円でしたからとても安いと思いました。もっと買っておけば良かったと思うくらいです。半分を人にあげて半分を皮をむいて、きのこと一緒に栗ご飯にして食べました。皮をむくのが中々骨が折れましたが、季節を食べているようでホクホクとして本当に美味しいものでした。
広島だより18(2002.10.4)
いつも、375号線を通るたびに感じるのは、沿線に割と大きな構えの農家が多いことです。私の呉への通勤路でもあるこの道は、ほぼ南北に真っ直ぐ走っていますが、方位との関係から、道路の西側にある住宅の方が多いのですが、いずれも敷地に目一杯に大きく建っている感じがします。配置の特徴としては、引き込み路から門を入って正面には、玄関も堂々とした割と大きな母屋、向かって右側にこれも大きな納屋が配置され、納屋の奥に窓の構成から中二階と思われる白壁の蔵があることが多いようです。母屋の左奥には大概離れが建っています。それも二階建てのものが多いような気がします。敷地の関係から道路から引き込み路が10m程度もあることもあります。このような場合はなお立派に見えます。この構成が、こちらの地域の農家の典型的な平面計画になっているようです。なかには、敷地間口も広く住宅の正面の姿が門構えも堂々としてちょっと豪農の住まいを思わせるものまであります。賀茂台地は、酒都西条(現東広島市)を中心に広がり、賀茂川が真ん中を呉へ流れ、両側を山に囲まれた南北に細長い台地で、そんなに広い面積ではないのですが、昔、西条には国分寺が置かれていたり、後年には毛利藩の鏡山城などが置かれたことでも分かるように、政治的な要衝の地であるとともに、きっと昔から農作物なども良く実る裕福な台地だったのではないかと思います。そして山にも囲まれていますから、きっと農業と林業の盛んな豊かな土地なのでしょう。
その裕福そうな感じをさらに印象的に高めているのが、前にも少し述べましたが、屋根瓦かもしれません。オレンジ系の赤瓦が圧倒的に多いのですが、田園風景の中で独特の風情と景観をかもし出し大層目立っています。そして、それをさらに特徴的にしているのが棟瓦の両端に鯱鉾の形をした瓦が載っており、まるでお城のような雰囲気を演出していることです。そして、随所随所に鳩、狛犬、船、波、鳶などさまざまの形をした瓦が競い合って飾られています。それぞれ形も微妙に違いますから、きっとそれぞれの組み合わせなどにも意味があるのではないかと思います。棟瓦の積み方も瓦職人のこだわりが見えるようでかなりの種類が見かけられます。時にはお寺のような住宅にとってはちょっと派手ではないかと思える龍の焼き物の飾りがついていることもあります。この特徴的な瓦のルーツはお隣りの島根県、昔で言えば石見の有名な石州瓦なのだそうです。立地も隣り合って距離も近いせいもあるのでしょうが、あるとき職人さんが移動してきて石州と土質も良く似ているということで定着し、盛んになったということです。瓦屋さんに詳しい歴史を教えてもらおうと思ってはいるのですが、いまだ果たしていません。年内には聞いてこようと思います。
噂話だけでは何なので、やっと念願の屋根瓦を何箇所か撮ってきました。今回はコラムにも写真を四枚ほど入れてみます。見てみてください。面白いものでしょ?その内特集します。
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広島だより19(2002.10.22)
先週の12日は、まだ新入生だけしかいない大学祭とオープンキャンパスがあり、オープンキャンパスで訪れる高校生のために緩急二つの勾配のスロープや階段を学生に手伝ってもらい製作しました。車いす使用と高齢者疑似体験をしてもらって、そのような経験の中から設計をしていくのだという事を分かってもらおうとイベントを企画したので、その前の週から準備で大変に忙しい日々でした。大変興味を持ってくれる高校生もいて、それなりに成功だったのではと思います。その後、一週間ぐらいは疲れが溜まったのか何だか体調が本調子ではありませんでした。明けて13日は待望の酒都西条の酒祭りでした。色々のイベントやコンサートなども催され、全国から12日、13日とも11万人ずつ計22万人の人達が集まったそうです。大変なものです。今年は試飲のために全国から850もの銘酒が勢ぞろいし賑やかに開催されました。私は大学の同僚に呼びかけ総勢8人で出かけ、銘酒の試飲や初めての美酒鍋を囲んできました。自分の狙いを定めた酒の試飲をするためには午前中早くに出かける必要がありそうです。私達が試飲会場に入ったのは1時前ですが、飲みたいと思っていた銘柄はほとんど空瓶しか残っていませんでした。美酒鍋は肉と野菜を使うすき焼き風の鍋で、水を殆ど使わないで酒と材料のみでだしを取り、取皿にとってから塩胡椒だけで味付けするという大変にシンプルな西条独特の鍋です。四人分に対して材料の量が少なすぎる気もしましたが、とりあえず美味しく食べました。酒祭りのホームページなどを見ると、美酒鍋は酒臭いとかの感想がありますが、酒は最初に一気に入れてアルコールを飛ばしてしまった方が酒の旨味が出て美味しくできるようです。
東広島市西条駅から程近く、JR山陽本線と平行して幅4〜5メールの狭い旧街道が走っており、その両側に古くから蔵元の醸造蔵が8軒並んでいます。酒祭りの人が巡るメインの会場でもありましたが、蔵元の軒先に杉玉の下がる狭い趣のある酒蔵通りを大勢の人たちが試飲や気に入った酒を買うために群がって移動していました。賀茂泉、賀茂鶴などほとんどの酒が全国銘柄ですが、他の酒蔵と少し離れて一番西に位置する賀茂輝という知る人ぞ知る蔵元があります。私が最近、良く買いに行くという意味で凝っている蔵元ですが、敷地に入って直ぐ右側の建物に円座(わろうだ)という精米倉を改造して造った、夏でもひんやり、しっとりとしてなぜか落ち着く小さなイベントギャラリーがあります。私はそこの喫茶の冷やし甘酒が気に入っているのですが、昔酒造りの酒を絞る時に使った船という厚い木で出来た道具などを使った室内は独特の雰囲気です。蔵元で昔に使っていた陶器、ガラス器、塗り物、小道具などの骨董品を売っていたり、そのスペースを使って時々コンサートや陶器展や織物の展示などを行っています。
今の季節、往き返りの通勤路から見える辺り一帯には柿の木が多く柿が鈴なりになっています。葉はもうすっかり落ちて、柿の実だけが明るいオレンジ色に輝いて枝を重そうにたわましています。今年は晴れた日が続いたので、きっと当たり年ではないかと思います。中でもこの地方で有名な柿に西条柿があります。割と大型の柿で8センチ程度のころりとした形をして縦に筋が4本入った渋柿なのですが、ドライアイスなどと一緒にビニールの袋に密閉し柿渋を抜いて甘柿にしているようです。私の田舎ではアルコールや温泉に浸けて渋を抜いていたのではと記憶しています。西条柿という位ですから元々はこちらの産のものでしょうが、最近、テレビのコマーシャルで見ましたが島根でも栽培しているらしくどっと店に並んでいますが、結構糖度がでて甘い柿に仕上がっています。昔から、清酒を醸造する酒造りの最終段階で酒の滓を沈め、清んだ酒にするために柿渋の液を撒いて清ますと聞きましたが、酒どころ西条と渋柿との取り合わせはさすが昔から酒都と呼ばれているだけに絶妙の取り合わせだなと感心してしまいます。
7月に狐の轢死体のことを書きましたが、最近、少し寒くなってきて餌が不足してきたのか狸やいたちなどの轢死体が急激に増えてきています。毎週、道路上で見かけるようになりました。先週はまた狐が太い尻尾をさらして轢かれていました。可哀想なことです。昨日は車の前をいたちが横切り、あわや私も加害者になるところでヒヤッとしました。彼らの獣道を人間が勝手に作った道路が横断したために彼らの生活道路が分断され、やむを得ず彼らが餌を探して横断している時にスピードを出した車に轢かれるようです。特に375号線は坂道で見通しの悪い上に、ダンプカーや道が空いていればスピードを出した車が多い道なので彼らには大変に危険な場所となっています。人と野生小動物のうまい共住はできないものでしょうか。別の意味で考えさせられる問題です。
広島だより21 (2002.11.15)
通勤路のほとんど古新開の大学の近くになってからですが、黒瀬川沿いの車がすれ違う時接触に注意しなくてはいけない程度の狭い堤防道に入る入り口があります。時々、近道なのでその道を走るのですが、その道は時間制限があり8時半以降しか進入禁止で進入できないのです。そのせいもあってか、その近辺の川には水鳥が大変多く生息しています。黒瀬川河口部は地元では広西大川とよばれ、県内でも有数のバードウォッチングのポイントなのだそうです。朝早くには川のあちこちで長い足で歩き回って餌を探したり、のんびり佇んだりしている結構大型のあお鷺、こ鷺、かもめ、そして仲のよい親子の鴨、あひるなどがいます。子供が親に寄り添って親子の会話が聞こえてくるような場面が見られます。季節によって少しずつ鳥の姿も入れ替わっているのでしょうが、まだ私には同じ種類の鳥達の小さな違いまでは判別できません。その鳥達をボーッと眺めていると気持ちが自然と和やかになって何か元気が出てきます。時々、時間があるときは車から降りて暫しの時間堤防や人橋の上から眺めていることもあります。このように、この辺りの川沿いにはとても良い形で昔のままの(?)自然が残っています。この所、気温が急激に下がったせいで周りの山の木々は一気に鮮やかな黄色や真っ赤に変貌し錦織状態で、黒瀬川の風景と渾然一体と溶け合っています。ひとつひとつの木の葉の色もきれいなのですが、全体がひとつにまとまって、より一層凄みを感じさせる風景になっています。
また、この辺は河口に近く海が近いため満ち潮の時は水がかなりのスピードで逆流し、上流へ向かって勢いよく流れてきます。水が上流に流れる姿は何回見ても、何か変でとても面白い飽きない風景です。そのような時は、いろいろな魚と共にかなり大型の鯔などが上がってきています。釣り人も結構いて、川岸から朝早く釣り糸を垂れています。水は割ときれいで透明度があり、魚の姿が見えています。鯔が背びれを水面から出して水を切って波紋をたてて泳いでいるのを見ていると直ぐに網でもすくえそうな気にさせてくれます。また、潮が引いた時には、何人もの人達が熊手のような道具で蜆かあさりでしょうか、浅瀬になった川の中に入り一生懸命取っています。それでも、鳥達は一定の距離を保っていれば人が近くに居ても逃げないようです。