島だより    2007.7.14
 見て頂いていた人には申し訳ありません。本当に、久しぶりの広島だよりです。 
 1年ぶりぐらいですから何を言っても間があき過ぎて言い訳になりませんね。何回分かの原稿は書いた事は書いたのですが色々で発信できていません。
 本当に早いもので、広島へ行ってから既に5年が過ぎてしまいました。何人かの友人達から何時帰ってくるのだと聞かれてばかりです。今は私にも分かりません。広島へ行ってからしばらくはあちこちに問いかけていましたが、今はゼミ生や大学院生も抱えて教える方でいそがしく、以前は月2回程度は帰っていたのに東京に帰る機会もめっきり少なくなりつつあります。だから東京の友達などにはなかなか会えていません。このままでは忘れられてしまう心配もあります。さあて、どうしましょうか。

 
広島の方の生活は、学生との付き合いで日々いそがしく過ごしています。しかし、全てがこのように日々の中に埋もれて過ぎていく怖さを一方では感じています。それもあって、最近、自分自身の時間を少しでも創り出す努力をしなくてはと思っています。私は酒を飲む雰囲気が好きですが、残念ながら同僚には楽しんで酒を飲むそのような人が少なく飲みに行く機会が少なく残念です。また、今は大学から車で30分程度の東広島市の黒瀬町に住んでいますが、そろそろ海辺に引っ越したいと数年前から転居先を探しつつこれまた何年かが過ぎつつあります。これも、釣りが好きなので海に近い方がよいなという感じです。釣りはやっている時間は全く自分と魚だけの対峙の世界ですからストレス解消には最高ではないかと思っています。早く釣り糸を垂らしたいものです。
 ここら辺は、数は少なくなってきていますが、茅葺き屋根の古民家もまだ多く残っています。また、広島周辺に多い赤い石州瓦が目立つ居蔵づくりもなかなか良いものです。安芸津辺りに、そのような物件があれば、すぐにでも飛んで行きたいと思っています。

広島だより(07.12.31)

 今日は、早いもので大晦日です。今年は、色々なことがたくさんありました。4月から院生が1人所属し、新しいゼミ生が5人になり、7月には3年生のプレゼミ生が5人増えて、ゼミ室も賑やかになりました。今迄になく、忙しい環境となりました。そして、9月には父親が94歳で亡くなりました。ですから喪中と言うことになります。新年のご挨拶は控えさせていただきます。10年ぐらい前、学長時代に脳梗塞で倒れ引退して以来、歳を考えれば人生精一杯生きたのだろうと思います。そして、学長も13年間と長くやりましたから良い一生だったのではと思います。私自身こんなに生きられるのかとても自信がありませんが、祖母も長生きでしたから私も是非あやかりたいものだと思っています。しかし、おかしなもので生きているときより亡くなってからの方が父親のことを思い出します。不思議なものです。両親は鹿児島にいましたから、東京の時より今は近くなったのですが、距離は近くなっても度々は帰れませんでした。それでも、正月は大体鹿児島に帰っていました。だから、親としては不足だったかも分かりませんが、少しは親孝行したと思います。後、87歳の母親への親孝行です。早くしないといけません。
あと何年、現役で働けるのか分かりませんが、やめたら田舎に帰って晴耕雨読の生活も良いななどと最近思っています。そこで、残された時間や生きる意味をじっくりと考えなおしてみるのも良いかもしれません。それに趣味は両手ででも数え切れないほどありますから、奇異日やれることは山程あります。絵画、彫刻、書、等々。日替わりでも何週間か違う事ができそうです。田舎のえびの市は、私の生まれた場所でもあり小学校四年生まで過ごしました。川内川が真ん中を流れ霧島連峰に囲まれた盆地でとても良いところです。鹿児島に出るまで高速で1時間程度ですからかなり近いです。何かあれば直ぐに飛んでいける距離です。色々な事を書きましたが、来年は良い年になることを期待しています。

広島だより(09.10.13)
 本当に久々で浦島太郎です。ホームページのデータの入っているパソコンが壊れましてもう二年間近く更新が全く滞っていました。とても気にしていたのですが、ままならずやっと今別のパソコンでデータをダウンロードして、これから更新を少しはしようとパソコンに向かっています。しかし、間があいて操作を忘れてしまいました。恐る恐るやっています。
もう、父親が94歳で亡くなってから2年が経ちました。早いものです。墓参りにも中々行けません。しかし、長男で土地を相続しましたから、その内生まれた土地に還ることになると思います。母親も、89歳ともう年ですから鹿児島は少し遠い様です。

あと何年、働く事になりますやら分かりませんが、田舎に帰った時の生活設計をぼちぼち立てなくてはなりません。残された貴重な時間をどう生きるかじっくりと考えて見る必要があります。前にも言いましたように趣味はそれこそ両手でも数え切れないほどありますから、毎日日替わりでこなすことになるかもしれません。絵画、彫刻、書、等々本当に山ほどです。何週間か違う事が出来そうです。
田舎のえびの市は、私の生まれた場所でもありますから地元にも何か貢献することも必要でしょう。毎日大好きな温泉に入って人のためと自分のために生きる事が出来そうな気がしてきました。母親のいる鹿児島にも高速で1時間程度ですからかなり近いです。何かあればすぐ飛んでいける距離です。これからあまり気張らず広島だよりを気長に発信していこうと思います。どうぞ皆さん懲りずにまた宜しくお願いします。


広島だより2009.11.05
一気に寒くなり、ついに昨日朝は車の窓が凍りついていました。昨年と比べ早いか遅いかは思い出せませんが、今年初めてのことでした。中々剥がれない凍りついた窓を、寒い中、かじかんだ手で手入れするだけで一仕事した気持ちになります。これからの作業のことを考えると少し憂鬱です。今年の気候の移り変わりは例年と少し違うような気がしますがどうなのでしょう。雪の多い冬にでもなると路面の凍結などでまた通勤が大変になってきます。
最近、CADソフトのバージョンアップ版を買ったのですが、ソフトを使用する場合の標準装備としてパソコン本体のメモリが4G、ハードディスクの空容量は10G以上とのことで未だにバージョンアップできていません。私が現在使っているパソコンは広島に就任時に配備された7、8年前のXPの旧タイプのもので容量やスピードが最近のものと比べものにならないくらい小さく遅く、新しくどんどん進化するソフトに全く追いついていません。最近のパソコンの性能やスピードの向上は目を見張るばかりです。
しかし、さすがにソフトは高い買い物でしたのでついにそれが使えるパソコンを買う羽目になりました。研究室の備品で買うと金額の上限や手続きなど色々と面倒な事があるので個人で購入しました。お金が幾らあっても足りません。しかし、購入したCADソフトはまだウインドーズ7には対応していないので、面倒な事にわざわざヴィスタから前のXPに落としたパソコンを買いました。メモリが4G、ハードディスクの空量1Tでまあまあのものです。昨日、夕方手元に届きましたが、ご存知のように使えるようにするにはセッティングがまた一仕事です。落ち着いて作業を行うためまとめて時間をとらなくてはなりません。
それにパソコンを入れ替えるとなると、当たり前の事ですが今までのデータも移し変えねばなりませが、これがまた時間のかかる仕事です。外付けのハードディスクにデータを書き込みましたが表示を見ると3時間以上も掛かかりました。昨日はそんな準備作業で時間が過ぎてしまいました。今は早くセッティングして新しい性能を試してみたいところです。

広島だより(09.12.28
いよいよ後三日余りを残し、今年も終わりである。少し今年を振り返ってみたい。
今年もあっという間の一年だった。このところの時の過ぎる速さと言ったら比較するものがないくらいである。取り立てて考えたくもないし、今まであまり自分の年のことを感じて日々を過ごしていた訳ではないのだが、周りから年金などの知らせを受けてくると自分の年齢もいよいよ第三の段階に突入したのだぞという認識をむりやり感じさせられ始めてくる。年を感じ始めた時から年を取るのだと誰かが言っていたが、ついに私もその年齢になったようだ。広島に来て教えることも7年が経ち、関わった学生もかなりになった。陶を育てる気持ちで接している。時々近くに来たついでに立ち寄ってくれる学生もいて、その時は大変に嬉しいものである。色々な報告を受けるのだが、最近は彼女を連れてくることが多い様に思う。結婚した学生も何人かいる。しかし、このところの不況を考えると影響を受けないでくれればよいがと景気の行き先の気にかかることである。
今年は政治的に世界規模で大変化の起きた年になった。良い方向へ進んでほしいと願望したい。地球の変化もますます危機感を増す中、COP15世界会議は発達途上国の意見に押され大変に不調に終わってしまった。それぞれの言わんとする意味は分からなくはないが、先進国も発達途上国も各国が自国の利益の主張に偏りすぎでいるきらいがある。もう少し知恵がないものかと思う。我々の地球の存続の問題である。人間はこの程度のことも調整できないのかと宇宙裁判で裁定されて大罪を受けそうに思う。このような時代にあって日本の果たすべき役割は計り知れない様に思うのだが、政権が代わっても相変わらず対米追従外交のようである。国民も政権は変えたけれど結局は大きな変化は望んでいないのか?テレビなどの多くの後ろ向きの発言を聞くとがっかりさせられることが多い。

それにも益して、もっと日本独自の環境政策に対するリーダーシップを取れないものか残念に思う。いつまでもこの様な反省ばかりの日々では私自身も気が滅入ってくる。ぜひ今度の政権には何が何でも環境問題に止まらず明日を見据えた世界をリードする姿勢を示す起死回生の政策提言を全世界に向けてしてほしい。
とにかく来年は少しでも平和で笑える良い年を迎えたいと思う。


広島だより(2010.03.03)
今日は三月三日、雛祭りである。何も特別なことがある訳ではないが、雛祭りと言えば、数年前に訪れた鞆の浦の雛祭りを思い出す。古びた店先に由緒ありそうな雛人形の飾られたポスターを見ていたこともあり、海岸の道路建設問題など色々と揉めている歴史的な街でもある鞆の浦という場所にも以前から興味もあったので、時間が空いたのを幸い車で訪れた。鞆の浦はかつて朝鮮通信使が海路江戸に上る時の重要な寄港地でもあった。
 西条インターから高速にのり小一時間程度で福山西インターを降り、一般道を結構な距離を走って、右折して川沿いを暫く南に下り古びた黒塀の倉庫が見えると、海岸側に背の高い鞆の浦のホテル鴎風亭が見えてきた。この道路が真っすぐ海に向かって伸び港の外側をぐるりと走る県の計画があるのだ。(現在、計画は裁判や反対運動等もあり中断している。)計画が実現すると、港の要に位置する歴史的遺産である坂本竜馬に縁のいろは丸資料館や常夜灯などの史跡や長い長い時間・歴史を含めた風景が全く変わってしまうことになる。現地に立つと改めてその計画の安易さや無謀さが分かってくる。
鞆シーサイドホテル横の駐車場に車を停め、駐車場奥の活魚料理の千とせで魚定食を食べた後、徒歩で街の散策にでた。丘の上の歴史資料館を皮切りに、あちこちを回った。丘を降りた真前にある黒塀の門構えの保命酒(養命酒に似た薬酒)の蔵元を初め、古い町並みの中、保命酒の店があちこちにあり、その構えの古さなどからも歴史を感じる。散策していると店先のあちこちに雛人形が飾られ、その人形の顔や衣装の古さからもしみじみと歴史が感じられ、なかなか風情があった。小さな店先に飾られているものにもきっと由緒のあるものもあるのだろう。くねくねと繋がる細い路地は歩行者には丁度良い安らぎを感じさせる心地良い狭さであった。車には少し狭い道路空間かも知れない。
 港の常夜灯の直ぐ近くの保命酒を昔作っていたという国の重文の太田家(旧中村家)を訪ねる。入館料を払って黒光りする屋根裏の見える古びた造りの入口を入ると、大きな屋敷全体が資料館になっている。奥の三間続きの広い座敷に立派な十段飾り程度の雛人形が三組飾られていた。離れの茶室を含め部屋数も多く、豪商の立派な佇まいを保っていた。雛人形や立派な屋敷の写真をあちこち熱心に写していると、声を掛けられた。「建物に興味があるなら家の中を見せてあげましょうか?」との申し出で喜んで受けることにした。名刺交換すると鞆の浦の道路計画に反対する会の事務局長であった。後に付いていくと、客間の奥の部屋の押し入れを開け中にある急な隠し階段を上った。驚きの展開であったが、上がると、2階部分は結構広く設えも立派な隠し部屋が幾つも作られていた。この様な造りはどこにでもあるものではないと思うが、昔の豪商の中には政治を動かすほどの影響力のある人もおり、役人などに踏み込まれても逃げられるなど、直ぐに危険が及ばないよう安全を確保するための工夫の一つだったようである。忍者屋敷の様な仕掛けも幾つかあった。幕末の1863年、公武合体派に京を追われた尊王攘夷派の三条実美ら7人の公家がここに立ち寄ったという。そうでなくても幕末の志士が隠れていたかもしれないなどと妄想を膨らませるだけでも楽しい。帰りにはやはり保命酒をお土産として購入して帰った。

広島だより(10.04.03
 前にも書いたことだが、ここ黒瀬の春は花がとてもきれいである。375号線沿いの家々の庭や道脇には、暮れから年が明け今日にいたるまで、梅、椿(隣接呉市の市花)、桜、桃、春告げ花の白い辛夷、春を求めて手を空に伸び出したような枝に黄色の爽やかでいかにも春らしい花を付けたレンギョウ、その流れるような枝の白さが清々しさを感じさせる雪の下や小手鞠、さらには赤や白のもこもこと花を付けた木瓜、白い花だと辛夷に間違えそうで咲き初めには少し大きめのナスの姿のような木蓮、水仙、菜の花、大根の花、続いて少し早めのチューリップ、パンジー、デージィ、なども参入し色とりどりの花が露地に咲きだして一気に春めいてくる。
 しかし、今年は何故かその時期や順番がちぐはぐである。この何日かは春にしては寒い日が続いた。三寒四温とは言うが少しリズムがおかしい。花咲きの順番は春が来るのであればどうでも良い様なものだが、何か気になる。北海道では4月になり、雪が溶け始めると一気に花々が咲き乱れ眼を射る素晴らしい感動を与える春景色は昔に自身体験したが、それとも少し違う感じがして心持ちの座り心地が悪い。春の花としては、桜が一番日本人好みだろう。私も好きな花の一つである。大きな桜の木の下には死人が埋まっているともいう。その様な日本人の心に様々の不思議を誘ってきた木でもある。蕾も混じる咲き始めも良いが、満開の後の桜吹雪きの中に佇んでいると花びらが体に降り注ぎ、自分が桜の精から悠久の時間を貰っているようで大変に好きである。それに続く葉桜も良い。また、辛夷、レンギョウもいかにも見た目に動きもあり爽やかで春らしく中々味があり良い花である。今年の辛夷はあっという間に終わったように思う。春らしい黄色のレンギョウも今年は目を楽しませてくれるほどにはあったが、昨年のようには咲き誇る姿は見かけない。地球規模の環境悪化の中で自然も変化を余儀なくさせられている。季節季節の花が順に咲いてくれるほうが四季を感じられて私としては馴染みがよいが、そのような季節(時)の変化をまだ身近に感じられる黒瀬は棲みよい場所である。

広島だより23 (2003.1.7)
 時の経つのは思いのほか早く、広島に来てから瞬く間に正月を迎えてしまいました。特に、最近はその感じが強いようです。皆さんはいかがでしょうか。今年も耳に入ってくる良い材料は少ないようですが、皆さんどうぞ良い年を過ごされるよう祈ります。
 私はこの所、少し忙しい日々を送っていました。暮の半ば過ぎから東京で大事な委員会が2つあったため、土、日、祭日を含め一週間居りました。こちらに来て夏休み以外で言えば初めてのことでした。都合もあり、往き返り京都で一泊して車で長距離を走ってきました。前にも書きましたが、往復で1800キロです。運転は嫌いではないので苦にはならないのですが、やはり長時間は大変です。その上、この時期になると大型のトラックが増えているために周りを壁のように囲まれる事があり、一瞬緊張し嫌なものです。乗用車でも運転マナーの悪い人が最近かなり増えています。しかし、今回も富士山がきれいな姿を見せてくれました。やはり頂きに雪を被った富士山は世界に誇れる美しいものです。
 広島に帰って少し休憩し、気を奮い立たせて次の日に車で両親のいる鹿児島へ帰りました。老親の事も日頃気にはなりつつも、東京から比べればかなり距離も近づいたのに広島からの直行便が無いせいや仕事や住まいの東京との二重性もあり、困ったものですが中々帰れないのが実情です。結局は、トータル3000キロの車の旅になりました。また、同じように中々果たせない故郷の墓参りも無事済ませ、霧島温泉に浸かってきました。温泉大好き人間の私としては3回も入り嬉しい一時でした。やはり温泉は気持ちがほぐれて良いものです。二日の日には初詣を済ませた後出水に鶴を見に行きました。鴨やシギやカラスまでも加わり賑やかなことでしたが、鶴の数も一万羽を超しているとの事でそのスマートな端正な姿は噂よりはずっと素敵なもので見飽きませんでした。帰りは、天気予報の雪や帰省の渋滞が心配だったので3日に出ましたが、思うことは皆同じのようで、既に帰省の人達が大勢帰り始めていて、出発時から強い雨の中で渋滞にも数箇所出会い8時間ぐらい掛かり帰ってきました。
 今日、大学の新年会です。いよいよ学校が始まり、また気忙しい日々が訪れるはずです。そして、残すところ僅かで今年度も終わってしまいます。新年度へ向けて講義の準備や何やできっと四月もあっという間に来るのでしょう。
広島だより26 (2003.2.18)
 3週間ぶりの発信です。少し前の話になりますが、先月、東京に出張中の28日夜中12時少し前転倒して左肩から床面に落ち左上腕頚部を骨折してしまいました。今も、左腕はギブスこそしていませんが保持バンドで身体にしっかり固定されています。そのため、コラムも発信が遅れていたのですが、食事・就寝・衣服着脱・排泄・移動など日常生活動作の諸々のことに不自由が生じて大変なことになっています。このコラムも片手で時間をかけて打っています。パソコンにしても片手で打てるようにはなっていないのです。「転倒は骨折に繋がるので注意が必要」などと日頃人に話していたことが何とわが身に降り懸かってしまいました。本当に情けなく、笑い話にもなりません。
 その日は、午後から会議を2つこなし8時過ぎに事務所に帰り現在取り組んでいる特別養護老人ホームの基本計画の打ち合わせをし、いささかくたびれて終電前の電車で帰りました。勿論、飲んでいません。自宅の最寄の多摩センター駅に着き、遅かったのと少しくたびれていた事もあり、タクシー乗り場に急ぎました。魔が差したのでしょうか、少しでも早くと前に居た人を追い抜こうとしてバランスを崩し転倒したのです。その瞬間、何が起きたのか分からず左胸から肩への激痛に頭の中は真っ白になりボーとしてしまいました。しばらく倒れたままになっていたので、追い抜こうとしていた人がさすがに心配して救急車を呼ぼうかと親切に言ってくれたのですが、反射的につい大丈夫ですと答えてしまいました。その時には、まさか骨折しているとは思っていなかったとはいえ、どうしてあのような時に人はそんなことを口走ってしまうのでしょうか。痺れと痛みをこらえつつタクシーで帰ってから服を脱ぎ腕を見てみると、左肘から落ちたのか関節部分が内出血で1.5倍ぐらいに腫れ上がって、見るも無残な状況で初めて事態の深刻さを知りました。その夜は結局、痛みで一睡も出来ませんでした。次の日の朝、開院するのを待ちかねていつも行っている大学病院に8時前から電話をしましたが早過ぎて誰も出ません。やっと通じて聞いてみると普通の診療だと順番どおりに受け付けるとの事でした。思い余って救急では駄目かと聞くと今日の当直は内科医だとの返事です。普通の順番なら、いつも2時間ぐらいは待たされるのでそこをあきらめて、家の近くの整形外科クリニックを思い出し、少しでも早く看て貰えるのではないかと思い電話しました。9時からだとの事で8時半頃苦労して着替えてタクシーで行って見ると、既に患者が大勢来ていました。気が遠くなりそうなのをこらえ待つこと1時間半、やっと診療室に通されてまた30分。同じじゃないか、何故だと思いつつも気力が萎えてきた頃、やっと看てもらいました。ここら辺の医療現場の不満やおかしな話はまた別の機会に譲るとして、レントゲンを撮った結果骨折していることが判明し、その時の見立てでは全治2か月とのことでした。ギブスをするというのを午後に広島へ帰る予定だということで勘弁してもらい、三角巾で吊ってもらい退散しました。帰ってから看てもらった医者には、骨がずれて接着したら切開して繋ぎ直しですよとか全治まで3か月掛かるとか大分脅されてしまいました。同じ骨折なのに全治期間が一月も延びてしまいました。それで、バンドで完全固定と相成ったわけです。
 同じような経験をお持ちの方はお分かりと思いますが、体の一部でも不自由になると歩行するにも、悪いところを庇ったりして身体全体のバランスが崩れて大変歩きづらくなります。足などの場合は、もう片方の足にも故障が出てきたりします。それにしても、骨折したのは初めての経験ですが、その痛さは歯の痛みにも似て重く奥からじわっと沸いてきて嫌なものです。3週間経った今、直後程の痛みはありませんが、腕の動きによっては鈍痛が襲ってきます。
 超特急でかいつまんで話をしましたが、長くなりました。しかし、この3週間は予定やらさまざまのことが集中しており大変に密度の高い3週間でした。また、機会があればその時感じたことをそれぞれのコラム欄で書いてみようと思います。今は、せめてこの苦い体験を来年の講義の中に活かせないものかと考えています。


広島だより24 (2003.1.14)
 今年の年賀状は、私自身が広島の黒瀬からの発信になったことや、暮に東京や鹿児島との往来でばだばたしたこと、そして又々パソコンが言う事を聞かなかったことなど色々と悪い条件が重なり、出すのが暮ぎりぎりになったこともあり、数をぐっと絞って出すことになってしまいました。そのため、皆さんから戴いた葉書も松の内までの期間の中で転送分もありばらばらと届きました。これは、賀状の宛先が事務所と東京の自宅と黒瀬の住まいと大学と4箇所に分散したのも時間がかかった原因です。
 私自身、印刷文面で葉書一杯になるため、コメントをなかなか書けないのですが、印刷以外に何か手書きで書いてあると、記憶がその人と出会ったその時に一瞬飛んで懐かしく色々と思い出したりします。その時には来年こそは皆に書こうと思うのですが。
 最近は、年賀状も印刷技術が発達して、自宅で印刷できるようになったため、手作りの素敵なものが急に増えてきました。写真やイラストを使ったものがとても増えて全体がカラフルになってきているような気がします。私は、いつもは東京の文具屋さんに印刷を頼むのですが、広島から東京への校正などのやり取りなどを考えると、とても印刷に出す時間が取れず、今年は自分で葉書文面と宛名を印刷しました。東京・鹿児島への往来と併せ、忙しい中での作業となり息が切れ目の廻る思いでしたが、何とか無事に暮れの内に鹿児島から出すことが出来ました。もっとも、こんな苦労をしても四分の三しか帰ってこないのですが。年賀状をもらって、返事を出さない人はどんな人だろうかと思います。しかし、こればかりはどうしようもありません。それと、今年は27人もの多数の喪中のお知らせを戴きました。記憶では、今迄で一番多い年ではないかと思います。皆さんのご冥福をお祈りしたいと思いますが、中には友人の訃報なども混じっており複雑な想いが混じります。なんと逝くのが早過ぎることでしょう。確かに自分を振り返ってみると、年齢的な時期もあり最近多忙の日々で決して人事ではないのですが、彼らは遺した者やものにきっと想いが残ったのではとつい考えたりします。
 今年の正月は、両親と久しぶりに過ごすことができそれはそれで良かったのですが、ついつい心配の余り要らぬことをいったり、憎まれ口などを利くつもりもないのですがつい怒らせたりし、老親と本当にたまにしか会えないのに、これでは孝行にもならなかったかなと反省をしたりしています。しかし、いつまで経っても親の目からは子供が頼りにならないように見えるようです。そして、いつまでも親の威厳を保っていたいらしく、心配してちょっと忠告めいたことを言うともういけないようで、気持ちはとても繊細でその辺のことも関係しているようです。分かってはいるのですが。いずれにしても、いつの世も親孝行は思ったほどは簡単ではないようですね。
広島だより25 (2003.1.28)
 国連によるイラクの核査察団のニュースが連日のようにテレビや新聞を賑わしています。昨日、27日には査察団の国連への報告があり、「提示資料が十分ではない。疑問が残る。査察を延期すべきだ。」と指摘されました。アメリカのイラク攻撃はどうしても避けられないのでしょうか。しかし、憎しみで行動すれば次の憎しみを生み出します。ブッシュ大統領を筆頭に、このところ急にタカ派的発言が目立つパウエル国務長官の発言を聞くと、どうしてもやりたいようにしか見えません。古い化学兵器弾頭が発見されたことや核の濃縮プログラムの文書が科学者の自宅から見つかったと最近のニュースは報じました。どこかこのように小出しに報じられるニュースに意図的な違和感を覚えるのですが、私だけの過敏な反応でしょうか。確かに、クゥェート侵攻は間違っていたと思います。私が30年前に行って設計したクウェート・ハドラン地区の町はあの戦争で全て破壊されました。私もその行為は許したくありません。最近のニュースでは、全世界でアメリカのイラク攻撃に反対のデモが大規模に行われているのが映し出されています。また、ブッシュ政権の高官の内、32名は軍需産業に関連する人達だとテレビでは報じています。今回イラクで戦争が起きれば関連の軍需産業は10兆円の効果があがるのだそうです。また、イラク攻撃を推進する立場の研究所の役員はイラクから石油を取り上げなければいけないと断言していました。サウジアラビアが現在世界で一番の採掘量があるそうですが、イラクの石油の埋蔵量と品質は遥かにそれを凌ぐと言っています。ここまで聞いてくると、アメリカの利権・覇権構造が見え見えなのが分かってきます。世界の警察を自認し、フセインの独裁を断罪していながら、あちこちで結局紛争を作り出しているのはどこなのでしょうか。ブッシュ大統領の人相が最近ではいよいよ悪くなって凶相を示しています。一旦、石油の流通が滞れば一番被害を受けるの日本なのです。日本の役割は無いのでしょうか、全くのところ人事ではないのですが。
 この件は大事なことなのですが、このコラムにとっては少し緊張感のあり過ぎる話なので話題を全く変えましょう。通勤路の途中、375号線から焼山へ向かう郷原大橋の袂に今、それはそれは大きな40mぐらいの高さの面白い形のやぐらが出来ています。ある日突然田んぼの真ん中に出現したのですが、竹を幾重にも組んで作られたもので3層構造になっています。途中に取り付けられた鯉のぼりや旗が風に時々ひらめいています。2月9日に「とんど焼」が行われるそうです。正月中に行われるのが多いような気がしますが、地方ではあちこちで行われていると思います。私も小さい頃田舎で、燃やした残り火で家から持っていった柳の枝に刺した餅を焼いて食べた記憶があります。その焼いた餅を食べるとその年は無病息災とか聞いたような気がします。しかし、郷原に出現したやぐらのその大きさには本当に圧倒されます。私は、このように堂々とした大規模なものは始めて見ました。火を付ければさぞかし圧巻で迫力のある姿なのでしょうが、9日は残念ながら宮崎市で開催されるある委員会の調査出張のため、その姿を見ることが出来ないのがとても残念です。本当に見てみたいものです。
広島だより27 (2003.3.11)
 正月を迎え、あっという間にとんど焼があり、ちょっとした転倒事件があって、そして気付くともう3月です。昨年の3月21日にこちらに引っ越してきてもう直ぐ一年になろうとしています。今年は長期の天気予報を裏切って雪こそ少なかったものの結構寒い冬だったような気がします。黒瀬では先週も名残の雪が何回か降りましたが、そんな寒さにもめげず今までじっと耐えてきた木の芽や花の蕾など世の中のあらゆる生きているものたちが、時折射し始めたやわらかな春の日差しに誘われて、その命を精一杯謳歌しようと一斉に胎動を始めています。この時期は私の好きな季節のひとつでもありますが、何となく花や木々の蕾や芽や周りの山々の稜線からもそれらをそっと包み込んでしまうぼ〜と霞むようなオーラを感じますし、静かに耳を澄ますと周りから数え切れない鼓動が聞こえるような気がします。それを感じると何か彼らの小さいけれど数億の命を分けてもらっているような不思議な心持になってきます。
 今年も恒例となった桜前線の話題がテレビでも注目を集めていますが、すでに私の通う大学までの道筋には小さな木ながら花を一杯つけた緋寒桜やまばら咲きの山桜などをちらほらと見ることが出来ます。昨年もそうでしたが、今年も桜は大分早く咲きそうな気配です。東京に桜前線が上がるまでまだかなり長い期間見ることが出来そうで楽しみです。花粉症の私としては杉花粉が飛ぶのはいただけませんが、桜の花が春の風にひらひらと舞い散る中で何も考えずに身体全体で感じながら眺めるのはとても良いものです。今月の20日頃中伊豆で会議があるので久しぶりに会える長年の朋との再会を楽しみにしていますが、ひょっとして伊豆の素敵な桜にも出会えるかもしれません。伊豆は河津桜がもうすんでいるかもしれませんが、修善寺寒桜はこれからのようですから。
 まだ、相変わらず右手だけの生活という不自由な身をかこっていますが、せめて私の好きな春を目一杯楽しみたいと思っています。

広島だより28 (2003.3.28)
 春が周りに溢れ始めてきました。桜便りもあちこちから聞こえ始めています。昨日は東京で開花宣言があったようです。そこで、コラムの表紙も春らしい景色に変えてみました。これは、函南のNTT伊豆病院の玄関前の散策路のある庭の真ん中に生えているものです。一見桜のように見えますが、こぶしの花です。大きな立派な木で白く輝きながら爛漫と咲きほこっています。見ているだけでその木の気の気配に惚れ惚れします。その気を少し貰おうとパソコンの壁紙に早速貼り付けました。パソコンを立ち上げるとこのこぶしの花が画面一杯に咲いています。原宿の表参道の同潤会アパートの中程の10mを超えるこぶしの木も堂々と毎年花を付けていましたが、今年はどうでしょうか。こぶしは春を告げる花でもありますが、今年は広島も多摩も伊豆も全ての花が一気に咲き始めたような気がします。
 先日、中伊豆で障害者関係の会議があり、その翌日久しぶりに何人かの仲間達と会いました。私は、兵庫リハの澤村先生が主宰されていたヨーロッパの福祉施設の視察や新しい福祉情報を得るための「地域ケアと在宅ケア」というテーマの研修旅行に数年前まで14年ほど毎年参加していたのですが、その時にご一緒した人達に呼びかけ年一回ぐらい会っている親睦と情報交換のための東京会という集まりがあります。今回は、急な話だったので集まれたのはその内7人だけですが、7人で楽しく時間を過ごしました。メンバーはリハの医者、看護士、MSW、障害者施設長、そして作業療法を教えている大学の先生達です。私はやっと左腕骨折の固定が外れたリハ期の格好の患者ですから色々とアドバイスを受けました。しかし、流した涙の数が回復の期間を決めるなどと脅され残念ながら実際にはやってもらいませんでした。伊豆は温泉地ですから3回も温泉に浸かり自分流で一生懸命リハビリに励みました。リハビリをやった方しか分からないのでしょうが、一ヶ月の固定で無くなった筋肉を付けるのと硬く固まった関節をほぐすのは思いのほか痛いものです。すぐに直ると考えていましたが、リハに入ってからどのくらいで元通りになるか少し心配になってきました。
広島だより29(2003.4.15)
 桜もこのところの雨や風などのせいで散り始め、だんだんと暖かくなり葉桜に移行しつつあります。桜の薄いピンクの花びらは咲いているのもはらはらとはかなげに散っているのもそれぞれに良いものですが、茶色っぽい桜の葉のいかにも柔らかげで艶やかな風情もまた中々捨てがたいものです。まだこの辺りは、赤い椿や木瓜、濃い淡いピンクの桃、黄色のレンギョウ、真白い白木蓮、茄子色の木蓮など色取り取りの花が一斉に咲き誇っている時期でもあり、通勤路の両側もつい見とれてしまうと運転が危なくなるくらい毎日目を楽しましてくれています。
















 先週4月9日は入学式でした。昨年も確かそうだったと思いますが、最近の入学式は親や家族が付き添って式に臨む例が多いようです。立っている人が居るほど大勢の父兄達が子供の晴れ姿を一目見ようと詰め掛けていました。私たちの時分から考えると信じられないほどの時代の差を感じます。それにしても大学に入学する年齢といえば、そろそろ自立の時だろうと思うのですが。そこから彼らの高校までの家庭教育や学校の教育環境が見えてくるような気もします。おそらく子離れ親離れが十分に出来ていないのかもしれません。その分、そのような子弟を指導し教育していくのには並大抵ではないかなりのテクニックがいりそうです。これからは教える側にも今まで以上に多くのことを要求される時代になりそうです。
 先程、丁度一年前のコラムを読み返していましたら季節の花々の事や学生の事について同じような記述がありました。昨年一年間、学生と接していて感じたことは、色々なことを感じ考えるような本らしき本を殆ど読んでいないようで、自分の考えまとめ相手にきちっと伝えることがとても苦手のようです。そのせいか自主性が乏しく自己主張も少なく見えます。つまり、人の前では大人しくて質問されても答えは短くイエス、ノー程度で自分の意見をはっきりと相手に言わないのです。そのうえ学業に関しても、おおらかというか分からないことに先生に質問をして食い下がるといったようなこちらに強くアピールしようとする積極性が感じられない印象を受けます。もう少し、彼らにはつらつとした元気のよさがあると良いのですが。もっとも、幾分かは慣れの問題もあると思うので今年の二回生を楽しみにしましょう。このような傾向は、この大学だけで起きているのではなく全国の最近の学生一般の傾向なのかなと考えたりします。教える側としても難しい困った時代を迎えていると感じています。
Storehouse1−2
(2003年1月7日〜 )
(「生活のこと」の倉庫です
生活のこと
倉庫1(2002年)

富士山

出水の鶴

とんど焼き(小)

とんど焼き(大)
しだれ桜
椿
木瓜
レンギョウ
木蓮
広島だより30(2003.5.6)
 日曜日、大変良い天気だったので久しぶりに西条へ買い物に出かけることにしました。西条へ行く前に、宿舎から車で五分ぐらいの今年町から借りた黒瀬小学校下の家庭菜園を覗いてみました。借りたとたんに骨折して以来、鍬をまだ使えないため耕すこともできず、どうなっているか気になっていたのです。案の定、このところの雨と程好い日照りで、私の区画だけが恐ろしいくらい雑草に覆われていました。その上、礼儀知らずの人がやはり居るらしく、私の区画の上に今時期で植えられている玉ねぎの葉が幾つも打ち捨てられているのです。私の畑がごみ捨て場になってはいけないと予定を少し変更し草取りを始めました。たった20uしかないのですが、経験のある方ならお分かりと思いますが、この時期、程好い雨で育った雑草の多いこと根張りの強いこと驚きでした。やっとこれで耕すことが出来ます。途中で疲れたので半分ぐらいでやめようと思ったのですが、行きがかり上全部草取りをして取りあえず畑が見えるようにしました。井戸の向こうにこんもりと見えるのが取った草です。ちょっと覗こうと思った割には小一時間も掛かり結構本格的な仕事になってしまいました。
















 文字通り少し道草を食って、藤の花が散らないうちに見に来ようと思っていた西条への途中375号線沿いの藤棚の駐車場に車をとめてしばし花を眺めました。車を停めた位置が風下だったので、柔らかな上品な甘い香りが微かに開いた車の窓から入ってきました。鼻腔を開き香りの細胞を臭覚細胞に記憶させようとしばし深呼吸をしました。心配していたとおり二割程度の花が枯れ始め、少し盛りを過ぎていたようですが、それでも今まで爛漫と咲いていた面影を残しながら精一杯に咲いていました。大変な数の蜜蜂や熊蜂が花の蜜を求めて飛び交う中、刺される心配をしながら何枚かの美しい花の写真を撮りました。また今、賀茂台地は田植えの時期であちこちで始まっています。あぜがきれいに整えられた田んぼでは水が鏡のように張られ、水面には庭先の鯉のぼりがはためきながら元気良く写りこみ、五月の節句の雰囲気を盛り立てていました。その後買い物をして気持ちよい日曜日を過ごしました。
 という訳で折角の良い日だったのですが、同じ日の朝ブッシュ大統領がイラク戦争の終結宣言をしましたので、先にコメントした行きがかり上少し述べます。終結宣言を戦艦の上でこれをするのもどうかと思うのですが、その論調は変わらず彼らだけのアメリカの自由・正義を高らかに鼓舞する気負いが感じられるものでした。大量破壊兵器、生物化学兵器はまだ見つかっていません。その内見つかるのかもしれませんが、アメリカだけが正義を実行でき、他国の国民を解放するるという世界への正義の押し付けはどのような論理なのか残念なことに未だに理解できません。日本もかつて同じ道を歩んだ気がします。また、アメリカがネイティブアメリカンに対してしてきた歴史を見ればそれが少なくとも正しくないのは分かります。私は、アメリカ帝国主義の彼らの自由の押し付けがどのような展開を辿っていくのか、人類の終焉の方向にだけはいって欲しくないと、とても心配をしながら見ています。自分たちと違う人種だから、違う宗教だからといってその人達の命を軽く見ることは相手には受け入れられないことだと思います。憎悪からは新しい憎悪しか生まれないといいます。これが始まりでないといいのですが。


菜園

菜園

       
藤の花

広島だより31(2003.7.1)
 今日は、広島だよりと言うよりも、どうやらマイ菜園便りと言った方がぴったりの内容です。私の菜園は、前回にも書いたように、1月末に左手を骨折したこともあり、さあ畑を耕して植えようと思った時には5月も半ば過ぎて、今年の苗が結局間に合わなくて買えず、種から蒔く羽目になりました。それでも兎に角、耕さなくてはと考え、近くのDIYショップに行き、菜園をやるに手頃と思われる、柄が少し短く車のトランクにも積めそうな3本鍬とクワを購入しました。こちらでは、本業の農家の人達も買いに来ますから、道具は結構本格的なものも売っているのです。大発見で面白かったのは、鍬は3本が普通と思っていましたが、広島地方では4本の広島鍬というものがあるのです。今回、始めて見ました。処、変わればです。

 前に草を抜いた菜園の5畝在る内、取り敢えず3畝を耕しました。抜いたはずなのに又しっかりと根を張った草をもう一度抜いて、土の塊を細かく砕いて準備し、先程の店で店員に聞き、今から蒔いても間に合うという、青首大根、葉大根、ミニトマト、春菊、小松菜という妙な取り合わせの5種類の種を一袋ずつ蒔きました。取り敢えず3畝と書いた実状は、それを耕して畝らしく格好がついたところで4時間半ぐらいが過ぎ、疲労の限界だったのです。私が耕し始めた同じ時間に、町の菜園の隣の畑で私より年上と思われる農家の男性がこつこつ黙々と農作業をしていたのですが、私が耕すのを止めた後もまだ黙々と作業を続けていました。さすがに基礎体力が違うなと、自分を反省しつつ感心しきりでした。昔は、水泳などで鍛え体力に自信があっただけに今更ながら体力が低下していることを痛感しました。その時は、何とか芽が出てほしいとだけ祈りました。
 その後、このところの梅雨のお陰で、水やりも切らさずにすんで順調に青々とした元気な双葉が出ました。ちょっと嬉しい感動でした。写真で見てもかわいいものです。つい先日、密集して芽が出ていた若葉を間引いて、みそ汁に入れて美味しく頂きました。間引いた葉は思ったより一杯ありました。そして、多分に自分で種を蒔いて作ったことで嬉しいという心理的影響もあるのでしょうが、季節を身体に取り込んだ気がして感動しながら食べました。残った葉っぱも、間引かれて透き間が空いて伸び伸び出来たのでしょうか、今は、何となく、大根は大根、春菊は春菊の形をし始め、将来の一人前の姿が想像できるようなところまで育っています。しかし、今の時期は、私みたいに水やりなどこまめでなくても天が面倒を見てくれていますが、これから梅雨が明けて天気が良くなり始めると、水やりが出来ずに枯れないだろうかと気になっています。何とか、大根なども一人前とは言わなくても、30pぐらいのそれなりの形になってから収穫したいと願っています。今はひたすら、どうか神様お恵みをの心境です。

広島だより322003.7.22
 相変わらずの梅雨の長雨のお陰で、水遣りも苦労せず菜園の方もそれなりに順調ですが、九州の方では洪水や土砂崩れがあり、その上、列車転覆まで起きて心配なことです。
 私はこの所、最近評判を聞くようになったカスビ海ヨーグルトに少し凝っています。6月27日に東京で「知と心のサロン」という越川さんという方がお世話されている私的な集まりがあり、この所欠席続きだったのですが久しぶりに参加できました。東京にいる時には、会場が原宿の表参道の中程と私の事務所に近いこともあり、割とこまめに出席できていました。こちらに来て、開催日と出張が中々重ならず出席が叶いませんでしたが、今回はぴったり重なり幸運でした。この集まりは、会のメンバーがそれぞれに素晴らしいバックグラウンドがあり、論客ぞろいで、その上、講師として招かれる特徴ある方達の興味深いお話を聞くことができる大変に素敵な会なのです。その日は、元大使をされていた広瀬さんから、最近のイラク戦争など世界情勢とも絡み大変に注目の中央アジアのグルジア周辺の話を宗教やオイル問題やその背景などを含めお話を聞くことができました。私も以前、早いもので30年ぐらい前のことになりますが、9か月間クウェートでニュータウンの設計の仕事をした経験もあり、アラブやその周辺の国の話は大変に懐かしく、面白くお話を聞きました。そのお話の中にカスピ海ヨーグルトの話があったのです。最近、時々聞いていた名でもあり「一度食べれば病み付きになりますよ」とのお話に釣られて、お願いして種を分けていただくことにしました。
 28日にお宅の近くの駅迄出掛けお会いし、詳しい説明書付きで種を分けていただきました。広島に帰ってから、29日に作り始めたのですが、もう既に約3週間で15本目に入りました。以前は、牛乳を結構飲んでいたのですが、最近は3食にヨーグルトであまり飲まなくなりました。東京からこちらに持って帰る距離が心配でしたが、何事も起きなかったようで最初のパックがあっさり問題なく出来て、「やった!」という感じでした。その形状は、今まで食べていたブルガリアヨーグルトより柔らかく固形ではありません。トローッとして今良くテレビで宣伝しているトルコアイスクリームのような感じです。余り酸味が無くとても食べやすいものです。先日、大体出来具合が安定してきたようなので広瀬さんに感謝とお礼のメールをしました。駄目になったらまた種をあげるからと親切に返事を戴きました。有難うございました。そして、大学の同僚でヨーグルトを好きな人にも種を分けてあげ、今のところ続いているようです。今、静かにブームが広がっています。

広島だより33(2003.10.8)

このところ、めっきり冷え込む日が増えてやっと秋らしくなってきました。それとも初冬といったほうが良いのでしょうか。朝晩は結構冷え込んだりします。今朝も寒い!一時期満開だった赤い彼岸花も終わりました。また、あちこちの黄色やピンク、白のコスモスも結構先月など咲いていたので9月で終わったと思っていましたら、今まさに時期とばかりにピンク、白の馴染み深いコスモスが咲き誇っています。コスモスは長く咲き続けることで自分の季節を守ったようです。今年の夏はいつもより涼しく9月になって暑い日があったりして変な夏でした。皆さんはどうでしたか。
 コラムもすっかり間が空いてしばらくぶりの更新です。いつも気にはなっていたのですが、教材作りや何かで追われる日々が続いています。また委員会や会議や何だかんだと夏休みだからこそ集中的に入ってくるものもあります。今年は夏休みに事前準備を万端にと思っていたのですが、結局また、後期の間自転車操業の気配です。そんな訳で忙しさは毎日平均して続いています。

 今、わくわくして感激していることがあります。ホームページを公開してもう直ぐ2年になろうとしています。そのホームページへの来訪者が5桁、1万人を突破しそうなのです。昨日が9、900でしたから最近のペースなら少なくとも1週間以内に到達しそうです。最初は中々数字が伸びずがっかりしていた時期もありましたが、検索登録を多くしてから延び始めました。登録は多いほうが間違いなく良いようです。きりの良い数字になった時は出来るだけコピーをとっていますが、これが出来そうで中々難しいものです。明日ぐらいになりそうだと思っても、次の日に見てみると既に幾つか過ぎていることが結構あります。それはとも角、1万人になるなんて何時の事だろうと思っていましたから、うれしい限りです。到達すれば一応第一次目標達成です。その時までに、コラムの記事を一新できればなお嬉しいと思っています。かなり大変ですが。
 最後は、皆さんへの報告が中途半端になっていた、マイ菜園の続報です。先に書いたように毎日バタバタしているため、水撒きなどもままならず第一次採り入れが終わって、ただ今休園中です。夏の間大変だったのは、私の菜園にだけ生えてくるのではないかと疑いたくなるほどの大量の雑草が生えました。きっと、今年は太陽と雨水の塩梅も良かったのでしょう。しかし、周りの菜園では少しは生えていても、きれいなのです。ともかく、種から育てあげた小松菜、春菊、大根、プチトマトは一応取り入れをし、食しました。大根は小ぶりながらピリッと辛く秋刀魚にも合い、プチトマトは外皮がしっかりして(?)、口に入れてかむとプチッと中のジュースが弾けてそれなりに収穫の喜びに感激しました。ただ今、9,10月は冬物の苗植えの季節なのですが、今月から授業も始まり、次の畝作りがままなりません。やれば、5畝ありますからまる1日はかかると思います。どうしたものかと思案中です。

菜園収穫
コスモス
広島だより34(2003.11.03)

 今、雨が降っています。外は少し寒そうです。このところの朝晩の冷え込みで山々はあちこちで赤味が一気に差し始め、やっと季節らしくなってきました。しかし、今年は昨年より少し遅いような気がします。何だか冬がもう直ぐ近くにきている気配もあります。寒い冬にならないと良いのですが。寒いと路面凍結の問題がまた心配です。
 朝の通勤時には丁度右手の山の斜面に日が差して、色が一層輝いて見えるのですが、紅葉やハゼの葉が真っ赤に燃えています。黄色く色付いているのは何の木でしょうか。毎日、山の斜面は少しずつ色付いた面積を広げて秋色に染められ織物のようです。緑が濃いだけに色付いた葉がとても際立って印象深く見えます。晴れた日なら、少し、目を転じれば瀬戸内の穏やかな海が遠望できます。雲のある日に雲の切れ間から射す日が海を照らす時には、海の色がとても深く青く素晴らしい色を示します。虹を見るのと同じくらいめったに見ることは出来ませんが、こちらに来て3回ぐらい出会いました。
 ところで、昨日は、大学祭でした。まだ、呉キャンパスは1学部で2回生までしかいないので、学生も少なく少々寂しい気もしますが、学生達はそれなりに頑張って楽しんでいたようです。来年になれば看護学部と薬学部が2学部増えますから、学生も増え賑わうことでしょう。事前に学生達から買ったチケットのテントを巡っておでんなどを受け取り、食べました。少し生煮えもありましたが、それもお愛嬌です。しかし、留学生の手による水餃子などお代わりをしたいと思ったくらいとても美味しかった気がします。残念なのは、お客さんがちょっと少ない気もしました。もう少し増えるともっと賑わいもでるのでしょう。来年が楽しみです。
 夏休み以来、この数ヶ月とても忙しい日々を過ごしています。10月などは大学に行かなかった日が全部で3日間位ですからお分かりいただけると思います。日曜日にも行っているのです。そんな訳で、この所、東京にも中々帰れません。大半は、授業の教材作りですが、最初は何も持っていませんから教えるだけでも中々大変です。少しずつ楽になると良いのですが。それに来年の準備も加わって結構忙しくしています。友人などは、私の今の状況を羨ましがる人もいますが、とんでもない誤解というものです。

そんな訳で、菜園がしばらく休園状態でしたが、先週から少しずつ耕して肥料もやり来週には種を蒔こうかと考えています。これから冬に向かうので植えるものが難しいことです。早くに収穫のあるものと、春に取り入れるものとを考えています。全て秋植えの苗は先々週ぐらいに出尽くしましたが、玉葱だけが今も苗を売ってあり、来週間に合えばと思っています。
秋景色
秋景色


広島だより
35 (04.01.09)

 年が明けて広島から初めての発信をいたします。
 このところ、日々に追われ中々原稿もままならず心苦しい思いをしています。暮れの内の原稿一新を目標にしていたのですか、果たせていません。もう少しお待ちください。取りあえず、年頭に何かをと思いこれを書いています。
 まず、私の菜園のことですが、秋植えの分は少し植えるのも遅く気候も寒いようで成長が大変に遅い感じです。たまねぎ100本と二十日大根と水菜を植えました。口をあけて待っているだけのサポーター連からは、植えた種類が悪いとかこれを植えろとか、それはかしましい口出しがあるのですが、それにじっと耐えて収穫の春を夢見て、草取り水遣りに励んでいます。しかし、成長の遅いのを見るにつけ、心配が募ってきます。段々、子育ての親の気持ちに近づいています?何せ、口をあけて待っている人たちがいますから、収穫なしでは大変です。などと想いを巡らせながら日々を送っています。
 また、今年の賀状にも書いて宣言したことですが、そろそろ海外旅行を再開したいと考えています。以前のように年2回以上は出かけたいものです。手始めに、春に短期の計画を立て始めています。春休みなのに日程調整が結構難しいのは何故でしょう。もっとも、短期間ですから近場になるかと思いますが、疲れた頭の中を少しはリフレッシュしてきたいと思います。
 今日も寒かったですが、通勤途中の坂道が凍結することがあり危ないと聞いています。昨年は、雪の降るのも少なくそんなことも無くて、スタッドレスタイヤに換えなくて過ごしたのですが、今年は昨年より寒そうな気がします。最近、車検時にタイヤを2本替えたので少々の寒さなら平気なような気がしていますが、どうでしょうか。
 皆さんも、それぞれ色々な想いで年を迎えられたことと思います。私も含め、全部とはいわなくても、立てた計画の幾つかは実現できるよう願っています。

広島だより36  (04.4.26)
何とまぁ、またまた間が随分空きました。正月に全面入れ替えすると宣言までしたのに結局この有様です。人には不言実行と有言実行のタイプがありますが、私は後者の方で人に先に言って自分を追い込んでいくタイプなのですが、今回はうまくいきませんでした。誰ですか想像していた通りとおっしゃっているのは?などと冗談めかさなければ少々気恥ずかしい感じです。
 冬植えの野菜は相変わらず難儀したままで育ちの悪さは変わっていません。それでも、玉ねぎは20本ぐらいに減りながらも何とか生えているのを見ると引き抜くには不憫に思えて残しています。よその畑の玉ねぎは殆ど植えた本数のまま立派に太く育って玉をつけています。きっと、何かが違うのですが。
 春植えの今回は、水菜と大根の部分を耕して、先々週サトイモを双畝に植え、玉ねぎの育たなかった部分に先日の日曜にはミニトマト5本と青唐辛子2本の苗を植えました。トマトと青唐辛子は苗からなので今のところ順調に青々と育っています。しかし、サトイモの芽が中々でないので心配になってきました。トマトはもう少し育てば棚を作ってやらなければなりませんが、何といっても一番大変なのは水遣りです。特にサトイモは水が切れるとだめなようです。この水遣りがどうもネックですね。これから陽射しが強くなると土も直ぐに乾いてきますから。
 今年の春は、海外旅行は結局断念しました。ストレスが溜まるばかりです。ご存じない方も居られるでしょうが、大学の教員は結構何かと忙しいのです。3年目になると授業のコマも少しずつ増えてきて、その教材作りなど準備で毎日遅くまで追われています。来年になると卒業研究・設計の指導も増えます。そして、それ以外の委員会などの仕事も大変に沢山あり、今のところは月曜から木曜まで身動きできない状況です。着任前は研究などをして本も書く予定でしたが、先ず今のままでは夢のようです。時々、セミナーの講師で呼ばれたり、雑誌には少し書いてはいますが、まとまった内容にはなりません。そして、今のところ金曜だけが自分で使える日ですが、それを確保するのもままならないことも続いています。
 先日、好きな釣りで少しだけ息抜きをしました。久しぶりに頭の中が空っぽになりました。仲間5人で音戸の周辺を船で釣ったのですが、少し小型ではありましたがメバルが沢山釣れました。一人15〜20匹は釣れたのではと思います。全部でたらい一杯になっていました。証拠写真を撮るのを忘れ残念です。次回にはぜひ。
 今回つくづく思いましたが、無理をしてでもたまには時間を都合して頭の中をリセットすることもこれからは益々大切なことになるかもしれません。

広島だより37 (05.01.14)

 今年もどうぞ宜しくお願いいたします。遅ればせながら新年のご挨拶をさせていただきます。といいましても本当におめでたいのかどうかが問題なのですが。今年はぜひそうありたいと願いを込めて申しあげたいと思います。
 またも随分久しぶりの発信です。しかし、とにかく継続することも目的の一つですから少し昨年の自分自身の気持ちの総括を兼ねて報告をしたいと思います。

 昨年後半は、日本のみならず全世界的にも、自然界・人間界を問わず、色々な悲惨な事件が連続して起きて、世界中が何ともやりきれない切ない気持ちを抱えて新年を迎えたのではないかと思います。このままだと地球は滅びるのではと思わせるぐらいの事ばかりでした。

 一つには、イラクの戦争は核査察から発したことでしたが先日ひっそりとその調査が打ち切られました。完全に探す事を諦めたようです。そうなると、一体、あれは何のための戦争だったのか改めて問い直したくなります。しかし、未だにテロ撲滅だと言って誤爆があり子供を含め市民が大勢亡くなってもいるのです。市民を救う事が大きな目的の一つでもあったはずです。また、日本も色々な点で巻き込まれるのが心配です。今月末の選挙もうまくいくのでしょうか。どうも正義のためと謳っていた事がそうではなかったという事でしょうか。誰が正しくて誰が悪いという図式は力の支配の関係の上でだけ成り立つのは一方的でおかしな事ですね。そんなイライラや不安が皆の心の底に深くよどんで、オリンピックで大騒ぎして喜んだことなどが見事に吹っ飛んでしまい、昨年は全体的にとても暗い年だったような印象がしてしまいます。とても残念な事です。

 また、インド洋津波の前の夜に、日本の何処なのか分かりませんでしたが、リゾート地の島の高台にあるホテルの窓から海岸を見ているのですが、大岩交じり(岩があるのは少しおかしいのですが夢なので)のそれこそ30m位の大津波が右の海のほうから一気に押し寄せて(掛け布団が左側へずり落ちたのかもしれませんが)島の殆どが飲み込まれてしまうというとてもリアルな夢を見ましたが、その後の事を考えると奇妙な一致で気持ちの悪いことです。死者18万人を超すというインド洋津波は、地元の東南アジアの人達は勿論、日本の観光客を含め大勢の外国の観光客が巻き込まれ、楽しいはずの時間が一気に地獄と化してしまいました。亡くなった子供たちの数は3分の2に上るとも言われています。人類の将来に大いなる不安を与えるものです。日本でも予想されている地震などへの警戒をくれぐれも怠らないようにすべきでしょう。また、アメリカ、ヨーロッパなど世界中でこのところ起きている災害などは、今までになかった程大きな規模の土砂崩れや水害に思えて、先にあげたおろかな人間の仕業に対する神(?)の人類への痛烈な警告のような気もします。しかし、いつも思うのですが、神様はどうして本当に罪を犯した人だけを罰しないのでしょうか。いつも罰を受けるのは直接に関係の無い子供や年寄りなど弱い人達ばかりです。どうしても矛盾を感じます。神は何処に行ってしまったのでしょうか。

 相変わらず暗い話が多いのですが、今年は、昨年よりはましな年になるのでしょうか。本当に良い事が沢山起きて平和な世界になってほしいと願って止みません。

広島だより38 (05.01.31)
(先ずは、ホームページをかなり書き換えをしました。読みやすくなっていれば良いのですが。いかがでしょうか。お気づきの点、ご意見ぜひともお便りをお待ちしています。)

 今日は、全国的な寒波襲来で北海道、東北、北陸を中心に大雪のようです。予報では広島も今朝から雪とのことだったのですが、今日の日中は無事に過ぎて今夜半から明日にかけて降るようです。雪が降ると、自宅から20kmの間、大学までずっと下り坂なので車での通勤ではスリップするため大変になります。冬用タイヤを佩いていればまだ安心で良いのですが、こちらに来てずっと大雪にはなっていないせいもあり、私は冬用タイヤにはまだ変えていません。休むしかないなと思っていましたが、明日はどうしても大学へ出て来る必要がある事に気付きました。先程、このような時の互助会組織のメンバーで冬用タイヤを佩いている先生に電話して朝の便の便乗をお願いしたところです。というのは、今、来年最初の4年生になる学生のゼミ分けの最中で明日が希望受付の締め切りなのです。定員が各教員毎に決まっていて定員オーバーの場合、調整が必要になるわけです。第一志望で定員外になると本人の意志に関係なく空いているところに回されることになっていますから、私のゼミにきたいと言う学生の中で定員に漏れそうな学生を事前に呼んでそれとなくできるだけ希望に近いところにいけるよう選んで申請をするようにと伝えてあるのですが、どうなりますやら。今のところ心情的には定員通りになって選抜しなくて済むよう願っていますし、それが一番良いような気がしています。といって、むやみに定員を増やすと指導する態勢にも影響するでしょうし、難しい事です。既に彼らには厳しい競争が始まっていて仕方のないこととは言いながら学生の顔を見るとつらい事です。最近の学生を観察しますと、すごくのんびりとして、おそらく今迄あまり厳しい競争には慣れていないように見受けられますが、さらにその先には、あまり活発に動いているとはいえない厳しい就職戦線が控えています。彼らをどの様に鍛えて世に送り出せるのか、我々にとってもいよいよ正念場、大変な時期になってきました。

 話は変わりますが、久しぶりに少し菜園報告もしておきます。

 菜園のほうは、昨年夏にはミニトマトが2百個以上、獅子唐が限り無く取れました。ミニトマトは昨年も実績がありますが、結構数が生ってくれたので人にも差し上げ自分の食卓にも上り、とても役に立ってくれました。また、夏から暮れにかけて里芋を20本作りまして、夏の間の水遣りがとてもとても大変で、やっとの事で真夜中に水撒きをするなどしましたが、無事程々の量を収穫しました。しかし、いつもの事ながら自分で食べる量より人にあげる量のほうが多くなるのはどうしても避けられない運命のようです。それでいながら評論も結構手厳しく出来が悪いとかもっと違うものを作ってほしいとか姦しい事ですが、畑の手入れは大変な労働で私だけでやっていますから身一つ、そう簡単に安請け合いするわけにもまいりません。今は、寒いこともあり、収穫の後の植え付けのタイミングを外しましたので全面休耕中です、もう少し春めいたらぼちぼちとやろうかと考えています。今度の春植えは、二十日大根など短期決戦のできるものにしたいと思っています。それと、あまり宣言すると引き合いが殺到するのでそっとやらねばなりません。

広島だより39(05.2.22)
 こちらの今朝は少し寒かったようです。
 愛車の窓に硬くしっかりと食いついて剥がれにくい薄い氷の膜をこそぎ取るのに時間が掛かってしまいました。雪が降ると路面が凍って大学への下りの坂道は危険ですから、それよりはずっと良いのですが、寒い中で毎朝の日課となるとちょっと滅入るものですね。
 しかし、やっと、昨日は後期の成績を提出完了してほっと一息といったところです。勿論、次の仕事が山ほど控えているのですが、何か責任を果たして切りが付いたような少しうれしい気もします。提出は3科目ありましたが、その内の1科目が学生の数が多いので成績表への転記ミスをしないように何回も見直したりして結局時間が掛かってしまいました。
 今年は、広島は台風に影響を受けることが大変に多かったのですが、その一つが丁度授業とぶつかって補講となり、1週間以上も最終授業が延期になって成績提出締め切りまでの時間がその分短くなったためですが、一寸とばっちりでした。
 いよいよ来年には、我々の学部も4年目を迎え、卒業研究や就職活動が身近になってきました。就職活動も昔と比べるとかなり様変わりしています。私自身は、設計希望で設計事務所の面接が10月だったのですが、卒業年の2月にやきもきしている中、やっと採用通知を貰ったのを思い出しました。しかし、我々の時と違って、かなり求人の方法も変化して学生は3年の今の時期から企業の説明会や面接が既に始まり、今迄の勉強とは大分違う忙しさが出てきたようです。心なしか顔つきもきりっと締まってきたような気がします。最近は、学生自ら説明会の日程をインターネットで探し出してエントリーして行動するというパターンで我々に頼りきりで無いのは大変に良いのですが、やはり、彼らの動向が心配になりますから、行動やその結果についてはメールで報告するよう伝えてあります。私も、取りあえず成績提出で切りがつき、やっと学生達の就職情報収集に時間が取れる状態になりましたので、近々、広島市内や関西の方へ出かけてみようと思っているところです。最近は、教員も入り口と出口の対策にも追われています。
 先日、やっと来年のゼミ生予定者の配分が決定し、ゼミ室への出入りが始まりました。こうやって、接する学生が絞られてくると、何故か責任が重くなった気がするのは気のせいばかりではないようです。先日も集まってもらい卒業研究のテーマの絞込みや進め方について話をしましたが、人それぞれの時間の感覚や価値感の違いがありそうで、さてどの様に進めようかと思案しきりです。幾らあがいても、なるようにしかならないのでしょうが、やはりあがき続けるしかないのでしょうね。勿論、学生だけの問題ではないのですが。早く良い知らせを聞けると良いと考えています。

広島だより402005.3.8

今日は、青空も広く、柔らかな日差しも春を待つ周りの山々の霞む木々に燦燦と降りそそぎ3月の初めとしては大変に良い天気である。こんな日は外に出かけて思い切りのびのびしたいと考えるのが普通である。しかし、今日の私にはそれが出来ない。とても悲しいことだ。昨日から、恐れていたことがついにやってきた。
今年は大変に多いとは聞いていたが、これまでそのような気配も何故かあまり感じ無かったので、いささか不意打ちの感がある。周りではちらほらと耳にしており気にはしてはいたがついに来たということだ。今朝はちょっと用事があり、西条に出かけたのだが、周りが山に囲まれてスギ花粉が溢れているせいか、途中からあの一種独特の、顔全体に全身の水分が集中してくるような感覚があり、続いて涙がぽろぽろ、鼻水がすーと垂れ始めた。特に、薬の用意も無く出かけたので涙と鼻水が出っ放しの状態になった。片手にハンドル片手にハンカチの状態、ハンカチは目と鼻を頻繁に行き来し、車のハンドルを持つ手も覚つかず地獄街道を運転するには危険極まりない。この光景を人が見たら、きっと笑い転げるに違いない。しかし、本人にとってはかなり深刻な問題である。今までその気配が無かったので、今年はこのまま過ぎてくれるのかと淡い期待を抱いたくらいであるが、しかし、そうは問屋が卸さないということらしい。来るものはチャンと来んだね〜。そんな訳で、これを書いているのも度々中断され中々辛いものがある。
中々、出来なかったのだが、やっと一昨日、今年の春植えのジャガイモを植えることが出来た。4畝に30個ぐらい植えたので、一つに5個なってくれれば150個のジャガイモが収穫できる予定である。これぐらいあると収穫という感じがする。どうやら、このジャガイモというやつは私にぴったりの野菜のようである。植えるだけで、後はほって置いても良いらしい。(と、人は言うのだが本当だろうか。)尤も、少なくとも草ぐらいはむしってやらねばいけないだろう。前作のサトイモは、水をやらないと直ぐに葉がしおれた感じになるので、夏の水遣りが半端ではなく、大変なことであった。1週間ぐらい不在にした東京からの帰り、畑に直行して、夜、10時過ぎに水をまいたこともある。また、肥料をやると雑草だけが育つような気もする。今回植えたものは7月中ぐらいが収穫の時期のようだ。何時ものように、収穫の後のお裾分けだけを今から楽しみにしている人もいるのだ。

広島だより   2006.5.3

随分久しぶりの更新です。移転などもあり更新が中々できませんでした。

大学の方は3月に初めての卒業生を送り出し、感慨深い思いをしました。結構早く全員が決まりました。建設会社やハウスメーカーの設計部や建設部や営業部など様々です。社会での6人のゼミ生の更なる活躍を期待したいところです。昨年は、お陰様で就職も好調で建築創造学科は100%でした。今年もベビーブーマー対策で求人は多いようです。既に、何人かは決まっています。私のゼミ生は今年は7人ですが、全員卒業設計を選んでいますから、就職先も昨年と同じようなところに決まるのでしょう。

しかし、私の頃と違って、卒業設計を選択する人で設計事務所へ行きたい人は少ないようです。世の中が分かっているというのでしょうか、少しあきらめが早く、しつこさが足りないような気もします。私の頃も設計事務所は狭き門であったことは変わりませんが、もっと諦めなかったように思います。11月にやっと東京の設計事務所の二か所で面接をしてもらえ、一つに絞ったのですが、なかなか内定がもらえず気が気でない中で内定をもらったのが1月末だったのを今でも時々思い出します。決まった後は、下宿先を探したりでばたばたでしたが、あれで採用できないと言われたら、一つに絞っていたので就職浪人になっていたのだったと思うとぞっとします。しかし、そのくらい設計かやりたく設計事務所にはいることに必死でした。今と昔を単純に比較することは意味がないですが、もう少しねばり強さがあると良いのになと思うことが時々あります。

今日はこの辺で終わります。