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バリアフリー
バリアフリー環境の整備(高齢者や障害者が地域の中で住み続けるために)  2002.1.18

 最近、障害者が主人公になっている本やテレビ番組もかなり多くなり、一般の人の目や耳に触れる機会が増えて、「バリアフリー」という言葉が普通の言葉として語られ始め、時代が少しずつ変化し動いているような気がします。とはいえ、まだまだ露骨な偏見が横行しているのも事実です。皆さんはどのように感じられているでしょう。勿論、情報が増えてきたと言うだけで、世間の人達がバリアフリーの意味を十分理解しているとは思いませんが、幅広くさまざまの情報が公開されることは少なくとも良い傾向だと思います。何故かと言えば、私は基本的に「何事も全てまずお互いを良く知り合うことから理解は始まる」と考えているからです。
「バリアフリー」とは、改めて言えば「日常生活に支障を来す物理的なもの心理的なものなど、さまざまの障害が無いという状態」を指しており、そういう状態になってくれば、「障害を持った人も持たない人も同じように地域の中で共に暮らすことが出来る」という考え方ですが、ハード面での全国的なバリアフリー化の充実状況を見てみますと、最近、やっと都市の中心部の目立った道路や駅などは、少しずつ改善されてきていますが、地方などを含め全国的に見れば、家の中にしても道路も駅などにしても、段差などのバリアがまだ一杯あるのが現実です。
 時には、障害のある人には勿論のこと、障害のない人にさえ、障害となっている住宅や街の危険箇所がまだ多く存在しています。また、その整備の充実の度合いは、かなり地域差が大きく、まだまだ点や線としてのレベルに留まっているのではないかと思われます。従って、「障害を持った人が思った時に、周りの環境や他人のことを気にせずに、自分の力だけで日常生活ができ、街の中へも出かけられる」だろうかと考えてみますと、現実にはこれからだということが分かります。バリアの多い劣悪な居住環境や社会環境は、本人にとっての問題だけに留まらず、結局は、家族や社会全体の負担を大きくしますから、出来るだけ早急に住みやすい居住環境等を整備していく必要があります。

バリアフリー化について  2002.1.18

日本の住宅は、国も最近バリアフリー化へ向け急速に施策展開をし、バリアフリー化が大切であるとの気運が高まり始めているものの、日本全体の充足状況をみてみると、一般的に供給されている民間や公的な住宅に関しては新築・改造を合わせても、現時点ではまだ残念ながら十分にバリアフリー仕様にはなっているとは言えません。
特に、公営賃貸住宅など既存の公的な住宅については、段差の解消については殆ど無理があることと、可能な範囲で改造して住みやすくしようとしても退去時の現状復帰の条件があるため簡単には改造が出来ない状況になっています。従って、高齢になり事故や病気などによる身体状況の低下が起きると、そこに住み続ける事が困難になってきます。しかし、そのような時、新築時から本人の寝室と水廻りそして玄関迄のいわゆる「基本的生活空間のルート」がバリアフリー仕様に出来ていれば、少々身体状況が低下してきても、あるいは介護を受ける様になっても、あるいは不便な所があれば簡単な改造で済み、費用もそれ程掛からず、かなりの期間住み続ける事が可能となってきます。
今後、日本においても全ての民間の住宅や公的住宅などの「基本的生活空間のルート」を前もってバリアフリー仕様にした良質の住宅ストックをもっと増やしていく必要があると考えます。

ユニバーサルデザイン  (2002.2.25)
 最近、「バリアフリーデザイン」という言葉に加え、「ユニバーサルデザイン」という言葉を頻繁に聞くようになってきました。「ユニバーサルデザイン」は1970年代に、自分自身も重度の障害を持ったアメリカの建築家のロナルド・メイス氏(ノースカロライナ州立大学)によって提唱されたもので、「全ての人々にとって快適で利用可能な製品や建物や空間などの環境作りを目指す」という考え方です。大学内のCUD(ユニバーサルデザインセンター)によりますと「@利用の公平性、A利用にあたっての高い自由度、B利用法が直感的に分かること、C与えられる情報の理解のし易さ、D利用ミスの許容、E無理な姿勢や力が要らないこと、F寸法と空間の包容性」の7つをユニバーサルデザインの原則として定めています。
 つまり、一部の人々だけを対象にしたデザインではなく、高齢者も障害者も健康な人も乳母車の人も子供も分け隔てなく使えるデザインを目指そうというわけです。これを熱心に言う人達のなかには、これからは「バリアフリーデザイン」から「ユニバーサルデザイン」へ変わっていくのだと言う人達までもいます。
 しかし、それらの考え方は双方共に障害を解消しようとする際の基本的なものであり、かなりの部分が結果として共通する事を考えると、その部分についてはどちら側から障害にアプローチするかの視点の違いとして整理していいのではないかと、私は考えています。

バリアフリー:共通部分と個別対応  (2002.2.27)

 前項に続き「バリアフリーデザイン」と「ユニバーサルデザイン」について別の角度から考えてみます。
 「バリアフリーデザイン」は、「自立生活や社会参加などを阻害するさまざまの障害を取り除く」という意味では、本当は「心のバリアフリー」まで入れなくてはいけないのでしょうが、一般的には狭い意味で、「物理的なバリア」を解消するために「利用対象者を特定化したり、その対応を特別化する」事を「バリアフリーデザイン」という言い方がされています。
 しかし、私は「バリアフリーデザイン」のカバーする範囲の定義をもう少し広くしても良いのではないかと考えています。個別の障害への対応をした場合にも結果としては、ある部分は誰にでも便利だという「ユニバーサルデザイン」と共通する領域があり、その他の部分は個別の障害への対応ということになります。
 つまり、全ての対象を共通のコンセプトに従ってデザインすれば、必ず一部の障害には支障のでてくる人もいますから、共通のデザインをして全ての人が使えるようにすることは大変難しい事です。つまり、さまざまの障害に対して、それを解消するためにハード的対応を考える場合に、結果として、多くの人達に共通に対応できる部分と、それぞれの障害に対してどうしても個別に対応せざるを得ない部分が生じてきます。
 例えば、車いすの人と杖歩行の人を考えてみますと、移動する場合、床が平らであれば双方に共通で便利なものですが、廊下や通路の手すりや階段などは車いすの人にはあまり使えない不要なものになったり、時には障害になる場合さえあります。また、車いすの人のために、段差をスロープなどで段差解消する場合を考えますと、パーキンソン氏病などの障害の場合には、行動制御がままならないため下り坂で歩き始めると止まることがなかなか出来ずに、スロープでは追突を起こしたりしてしまうため事故を起こしかねず、逆に緩い階段のほうがよい場合があります。しかし、スロープはそれらの一部の人を除けば、その対応は足腰の弱った人、子供、妊婦など誰にも便利なものであり、「ユニバーサルデザイン」の考え方として提示されている部分と殆どラップしているということができます。このように、共通に対応できるものと個別に対応しないと駄目な部分があります。

バリアフリー:全く逆の対応  (2002.5.1)

 視覚障害者や聴覚障害者などの場合は、障害が違うようにそれぞれかなり対応の方法も違ってきます。例えば、車いすの人と視覚障害者では、最近は日本中至る所で見掛ける公共施設や道路に敷設された点字ブロックに対する考え方は、全く逆になる場合があります。しかし、同時に要求される対応です。車いすの人達は、腕力が弱っているため2p程度でも乗り越えられない人もいます。介助の場合でも段差があると大変です。点字ブロックの突起は0.5p程度あり、乗り越えるのは良いとしても通行時にがたがたして操作に支障が生じます。そのため、段差部はスロープにするなど段差が全くないことが望まれます。それに対し視覚障害者の場合は、点字ブロックや段差などで自分の位置や場所を認識することがあるため、そのようなものが無いと境界が分からず危険なので段差があった方が良いとの意見もあります。このように、「障害の違いによって必要とされる対応が違うということは、その部分については共通したデザインで物が作れない。」という事でもあります。もし対応するとすれば両方を同時に用意しておく必要があります。しかし、現実にはスペースやその他のさまざまの条件によってそう簡単な事ではありません。

双方からのアプローチ (2002.5.6)

 こういう機能やデザインであって欲しいという個別の要求と、それらを不特定多数に合うようすり合わせしようとすると、現実はなかなか難しい一面を含んでいます。 その意味では、公共建築や公共交通などの建物や駅や車両など多くの人達が共通に利用する日常生活の必要最小限ベースとしての「ユニバーサルデザイン」とそれだけでは対応できないそれぞれの障害などの個別性にも対応する「バリアフリーデザイン」の双方がうまく補足し合いマッチして初めて全体の環境デザインがカバーできるのだろうと考えられます。従って、 「ユニバーサルデザイン」と「バリアフリーデザイン」について語る場合、どちらが勝っていてどちらが劣っているという観点ではなく、双方のカバーする範囲をよく考えてその違いの部分を良く認識して取り組むべき課題だろうと考えます。つまり、広くカバーするといわれているものが、必ずしも全てをカバーできないように、対応の方法や幅は障害の種類や程度によっても違うのだという点が大切な視点ではないでしょうか。
 このように、障害の種類や程度の違いによる対応の調整は、現時点ではまだ解決していない部分が残っています。それぞれの人の身体状況や立場の違いに立った、現実的な対応を更に考えていく必要があるだろうと思います

日々の器(2002.3.8)
 私たちは一日三度の食事をします。その時使っている食器や湯飲みは、ほとんどの人がいつも決まったものを使っていると思います。それは、必ずしも本人が買っているとは限りませんが、その場合でも家族の誰かが好みのものを選んであげて使っているはずです。食器とはいえ、日々使っているうちに愛着も湧いてきます。気に入っているものをうっかり落として割ったりすれば何か悲しいような気持ちになることもあります。家に居る時なら、そのような場合、自分で買いに行ったり、誰かに買ってきてもらうことも簡単ですが、施設など入るとそのような簡単に見えることも結構難しいことになります。
 もし、私が将来特別養護老人ホーム(特養)に入るとしたら、食事の時には自分専用のものとまでは言いませんが、少なくとも気に入った持った手にも重みを感じることのできる器を使いたいなと思います。集団生活は、ややもするとものへの想いやこだわりを切り捨てがちになります。しかし、私はそのようなものなどへの想いやこだわる気持ちこそが日々の生活の張りに繋がるような気がしています。そうなると、その食器は勿論プラスチックではなく、陶器や磁器製の器です。当然、そのような食器は床などに落とせば割れます。それでも、そのような器で食事する方が同じものを食べても美味しく感じるだろうと思いますし、生活の質も高く感じられるのだろうと思います。そのような想いを誰にでも押しつけているわけではありませんが、私の計画する特養などでは食器はできるだけ陶器や磁器製のものをとお勧めしています。最近、少し値段は張りますが、落としても割れにくい強化加工した見た目もきれいな磁器食器の制作も全国各地で取り組まれ有田や久谷などの産地でも造られるようになってきました。床材がコルクタイルなどであれば、多少のクッション性がありますから、もしテーブルから誤って落としてもかなり割れることを防ぐことも出来ます。それに、食器は落として割れるよりは洗うときに割れる方が多いとも聞きました。大事に使う気持ちを大切にして注意深く使うのがよいのではないでしょうか。


施設の住宅化 (2002.1.18)
 今まで、公的な高齢者のための居住型の福祉施設としては、福祉事務所の措置による入所施設と呼ばれる施設と、施設に一定の費用を本人が払って利用する契約型施設がありました。前者には特別養護老人ホーム(以下特養と記す)や養護老人ホームがあり、後者には軽費老人ホーム(現在はケアハウス)や平成元年のゴールドプランにより創設されたケアハウスや過疎地域等対象の高齢者生活福祉センターがあります。そして、昭和62年より福祉施策と住宅施策の連携を図る観点から、厚生省と建設省が協力してデイサービスなどの福祉サービス施設と高齢者の住まいを統合したシルバーハウジングが造られるようになり、施設などの住宅化が促進されました。また、平成12年4月より痴呆性高齢者を対象とした4〜5人の小規模のグループホームもメニューに加わりバラエティが少し増えました。その他、民間のものとしては、元気な自立している高齢者からケアサービスの必要な高齢者までを対象にした大・小規模の有料老人ホームや小規模の高齢者アパートなどがあります。このように、国の施策により民間も誘導され、高齢者の住まいはやっと少しずつ選択肢が増えてきています。
地域との係わり 2002.1.18

   住まいをバリアフリー化することは、障害を持った高齢者や障害者達にとって大変に有効に役立つものであり、住み慣れた住まいに住み続けるためには欠かせない重要な要件です。また、そればかりでなく、段差解消や便所や浴室の手すりなどは、本人以外の家族などにとっても危険を防止し安全を確保し、共通に有効で役に立つものがあることが多いのです。これは、最近、頻繁に言われるようになってきたユニバーサルデザインの考え方と同じ考え方になります。しかし、住まいの中のバリアフリー化が進めば、それで高齢者の日常生活の中の障害は全て無くなるのかというといささか課題が残ります。
  住まいをバリアフリー化しようとする目的は、まず「高齢者が家の中で支障なく日常生活を送れる様にするということにある」のは間違いありません。そうなることによって、「日常生活全体が本人の意思によって、生き生きと過ごせるようになる」ことに最終的な目的はあるといえます。しかし、誰にも分かるように、その人がもし障害もなく健康であれば、日常生活は家の中だけで過ごしている訳ではありません。もし、車いすを使うようになっても可能でありさえすれば、多い少ないはあるにしても家の外へも出て行きたいと考えるものです。一般的な日常生活を考えると、買い物、散歩など家の外へ出かけたいと思う要求は数え切れないほど沢山あります。その様に、「人は地域との深い係わりの中で生活をしているのだ」と認識することがとても重要です。

新型特養(2002.3.20)(7月になるので未発信分発信6.22)
 平成14年1月17日付老健局「全国厚生労働関係部局会議資料」が公表されました。それによれば、平成14年度より従来の特養の設置基準を見直し、新型特養なる居住福祉型の施設基準に大幅な見直しをおこなっています。(基本的には昨年資料に同じ)まだ幾つかの未確定部分があるものの昨年の資料よりかなり明確になった部分が増えています。数年間は暫定的に従来型と新型の選択ができるようです。その中で新型特養を、入居者の尊厳を重視したケアの実現のため、居室の全個室化とユニットケアを特徴としており「居住福祉型の介護施設」と定義しています。今後の、社会的動向を考えれば個室化への流れは当然のことだろうと考えますが、その整備案の「趣旨および「個室・ユニットケア」の意義」などについては不明確な部分がまだ多々あり、7月の確定(予定?)まで論ずるには早急に過ぎるが、幾つかの疑問点を少し整理しておこうと思います。

 1)ユニットケア
 まず、ユニットケアの定義ですが、「グループに分けてそれぞれをひとつの生活単位とし、少人数の家庭的な雰囲気の中でケアをおこなう」としています。私自身、今までのさまざまの福祉施設の計画の中でユニットケアや居室のグループ化の提案をおこなってきましたが、人数を少なくすることだけで家庭的な雰囲気を作り得るのだろうかという疑問が絶えず頭の中に去来していました。少人数化することの具体的な効果としては、生活の中での選択の自由性が増し、いつも少数の一定の人と接すため精神的緊張が減りコミュニケーションが取りやすくなる点があげられます。また、その状態はむしろ家庭的というより、個室のプライバシー確保や生活の選択の自由性にともなって得られるストレス減少が居住者の生活の質を高めているような気がします。これらはストレス量と密接に関係するという痴呆性高齢者ケアにも有効な手法として理解できます。
 また、個室化することだけで家族の訪問が増えると考えるのは短絡に過ぎるのではないかと思います。確かに、個室の方が家族の訪問を促すためには気兼ねなく話などもできるために最善の方法に違いないでしょう。しかし、訪問回数の増加を期待するのであれば、施設の立地と家族が訪問したくなるインセンティブの演出について同時に要求されるべきです。訪問回数が増えれば自動的に家族関係は深まるでしょうが、もともと頻繁に訪問する家族は愛情が深い人達です。交通利便な立地でユニットケアを実施し、それに見合うケア体制を創り上げることが、入居者の生活の質を確保する最上の策だろうと思います。しかし、現在のケアスタッフの配置数で対応するにはかなりの無理が生じているのが現実です。もし、ケアの質を問うのであればスタッフの数の見直しも避けて通れない問題です。
 その意味でも、特養などの施設は交通の便などが良く訪問しやすい立地にしなくてはいけない所以であり、ケアスタッフの数を増やすことを同時に検討すべきであると考えています。

 2)新型特養の概要について
(1)多様な生活空間の確保など虚字夕刊橋を重視した構造とする。
 「多様な生活空間の確保の手段として個室の近くに共用スペースを重層的に設け、ユニットケアを実現する。」としています。共用スペースとは、いわゆるデイルームを設け、人との交流を含めた生活の場とする考え方です。この空間も、プライバシーを確保できる個室があって初めてどちらの場にするかという選択の自由が働き、自分の意志が選択に関わって交流の場として機能するのだと考えられます。一部の意見にあるような、従来の4人部屋でいつも顔を合わせ交流ができるから多人数部屋の方が良いという性質のものではありません。人は一人になりたいときに一人になれる権利が必要です。その意味で、個人スペース公共スペースといった多様な選択可能な生活空間を確保していく必要があります。
(2)全個室を原則とする
 個室の広さは8畳(約13u)とし、収納スペース、洗面設備スペースを含み、トイレ面積は除いています。個室内への家具持ち込みを想定し、夫婦部屋についても言及しています。夫婦部屋については夫婦の介護度の違いで同じ施設に入れるか不明確な部分があるため、設置するためにはまずこの点の改善が必要です。
 しかし、全個室にするために個別に考えたとき問題点をあげるケアスタッフ(ケア経験者に多い傾向にある)がいるのも事実です。例えば、居室内トイレの問題があります。居室内にトイレを設置すると、痴呆症の人などの場合、便で壁を汚したりするし、見守りがしにくいので危険であるなどの意見があります。似た例としてあげれば、入口扉を鍵付きとし、開け閉めの管理を本人に任せようと計画しても、殆どがスタッフ側から危険性についてクレームが付き扉を開放したままになったりして実現することがままならない場合が多いのだろうと考えます。従って、個室化の本来の目的を達成し、これらの計画内容を実現するためには、施設側とケアスタッフを含めたトータルな検討・対応が欠かせません。
(3)ユニットケアとする
 10人を生活単位の原則としているが、私見としては10人は少し多く、8人が入居者としても生活の仲間としては適当ではないか、また、居室と共用スペースの配分などのバランスからもユニットとしてまとめやすいと考えています。簡単な調理、食事、談話などを通じて交流が図られるようユニット毎の共用スペースを設けることを要求していますが、ユニット内で無理に交流を要求する必要もなく、本人の生活の選択の自由性が増すことによるストレス減少が、入居者に対する最大の効果ではないかと考えられます。
 また、静養室や面会室が不要なのは当然としても、一定の要件の下で廊下幅の見直しをするとしていますが、一定の条件が現時点ではまだはっきりしていません。
 参考例によれば、昨年まで禁止されていたユニット内の通路通過が180度逆転し認められ、分断されたデイルームも良しとしています。この点は厳しい指導があっただけに行政指導としていかがなものでしょうか。聞くところによれば、参考事例施設のデイルームは十分には活用されていないとも聞きます。どのような条件の下での廊下幅を指導するか待たれます。無論、多様な使い方のできる廊下はある意味で必要なことです。また、ケアステーションからの入居者への看守りについても特に指導はありません。しかし、入居者の身体状況を考慮すれば少なくともデイルームへの見通しは配慮されるべきでしょう。そして、最後に浴室の扱いですが、通常の家庭生活を基本として配慮すれば、ユニット内に浴室を組み込むかどうかの判断が分かれるところだろうと思います。しかし、現時点では特養の浴室、浴槽は補助金対象ではなく、これらの費用がホテルコストに反映できるかが、どのように配置可能かの重要な判断基準となってきます。勿論、もし反映できてもホテルコストの総額が入居者の負担可能な限度を超えれば不可能であり、限度以内に納まることが前提となります。

 3)費用負担の考え方
(1)施設整備費助成
 新型特養の施設整備補助は、特養部分の公共スペース部分および事務室等の管理部分に付いて助成対象としており、個人スペース・準個人スペース部分についてはホテルコストの対象としていますが、今回示された施設整備費助成分(従来と比べ助成額としてはかなり減っています)で入居者の生活の質を保ちつつゆとりを持ってどのように計画可能か早急な検討が必要です。
 また、既存施設の改築時についても準じた扱いをすることとしています。そして、新型特養整備時に設置者が調達をすべき資金の額が従来に比べ増加することに配慮し、社会福祉・医療事業団の融資は従来よりも融資率を引き上げ、90%とすることとしています。
(2) 利用者負担等
 新型特養の入居者は、居住環境が抜本的に改善されるとして、従来の介護・食事に掛かる費用のほか、ホテルコストに掛かる費用の負担を基本とし、その徴収を平成15年度から許可しています。負担するホテルコストは、個人スペースに掛かる建築費用・光熱水費等に相当する額としており、その際の各施設における算定ルールの明確化と両者への説明と同意の手続きを義務づけています。そして、低所得者への負担軽減については介護報酬体系設置の中で配慮するとしています。
 しかし、先に述べたように浴室スペースや浴槽などのホテルコストへの算入については現時点では準個人スペース部分の建築費用等の中に含まれるかなど、明確には定まっておらず計画上に支障があることは否めません。コスト負担の限度としては3〜4万円程度と考えますが、様々のリサーチや試算が必要と考えられます。

  4)まとめ
 以上、述べたように現時点では全体計画を決定づける部分において不明確な点があり、14年度に事業計画の手を挙げる法人等にとってはいささか計画しづらい点が残ります。従って、しばらくは試行錯誤の状態が継続すると考えられます。しかし、いつものことではありますが制度の変わり目では申請側と指導側ともお互いに手探り状態であり、一定の幅の中では融通の利く点があることもあります。今年度から計画することは、全てが必ずしもデメリットともいえない部分があります。取り組み次第では新アイデアなどを盛り込むこともでき、困難をチャンスに変えられると考えます。

 しかし、個室化やユニットケアの理論的利点は十分に理解できるとしても、ホテルコストの新導入は新しい負担増として入居者に受けととられることは必至であり、入居者への説明や理解を求めることが当面最大の課題だろうと思います。今後、この新制度は特養入居者や家族などにどのような影響を与えていくのでしょうか。少なくとも、新型特養の入居者にとって費用負担に見合った納得できる日常生活を確保すべく関係者は努力する必要があるのは間違いありません。
バリアフリー対応住宅(2002.1.18→6.22加筆修正)
 最近、国は住環境に関する法律を次々と整備し、日本の住宅はバリアフリー化へ向け急速に施策展開をし始めています。しかし、全体的に日本の住宅の現状をみてみると、一般的に供給されている民間や公的な住宅の多くは新築・改造を合わせても、現時点ではまだ残念ながら十分にバリアフリー仕様の住まいにはなっているとは言えません。むしろ、多くの高齢者などが現在不備のある住まいの中で生活障害などを抱えたまま不安な日々を過ごしているといっても過言ではないでしょう。
 特に、公営賃貸住宅など既存の公的な住宅については、床や柱・梁など構造に関わる改造の禁止があるため段差の解消については殆ど無理があることと、可能な範囲で改造して住みやすくしようとしても退出時の現状復帰の条件があるためそう簡単には改造することが出来ないのが実状です。しかし、高齢になってくると身体状況の低下により事故や病気などがおこり、その延長で生活の不便や障害が起きて、そこに住み続ける事が大変困難になってきます。
 そのような時、本人の基本的な生活空間である寝室と水廻りそして外へ出かけるための廊下から玄関迄のいわゆる「基本的生活空間のルート」が、前もってバリアフリー仕様に配慮出来ていれば、少々身体状況が低下してきても、あるいは車いすなどで介護を受ける様になっても、かなりの期間自分の住まいに住み続ける事が可能となってきます。また、不便な所があれば簡単な改造で直ぐに対処することができますし、もし転倒事故による怪我や骨折などで入院したような場合でも、退院するまでに素速く住まいを改造できるため退院後の自宅での生活を継続させることも可能となってきます。前もってバリアフリー仕様にするためには、少々、コストは掛かりますが高齢者にとっては、住み慣れたところで生活を継続させることが一番安心で楽なことです。住まいに住み続けるための安心を買う多少の投資は高齢社会にとって必要なことではないでしょうか。
 従って、今後、日本においては民間の住宅とともに公的な住宅なども基本的生活空間部分を「バリアフリー住宅」にして良質の住宅ストックとしてもっと増やしていくことが重要だろうと考えます。