最近、障害者が主人公になっている本やテレビ番組もかなり多くなり、一般の人の目や耳に触れる機会が増えて、「バリアフリー」という言葉が普通の言葉として語られ始め、時代が少しずつ変化し動いているような気がします。とはいえ、まだまだ露骨な偏見が横行しているのも事実です。皆さんはどのように感じられているでしょう。勿論、情報が増えてきたと言うだけで、世間の人達がバリアフリーの意味を十分理解しているとは思いませんが、幅広くさまざまの情報が公開されることは少なくとも良い傾向だと思います。何故かと言えば、私は基本的に「何事も全てまずお互いを良く知り合うことから理解は始まる」と考えているからです。
「バリアフリー」とは、改めて言えば「日常生活に支障を来す物理的なもの心理的なものなど、さまざまの障害が無いという状態」を指しており、そういう状態になってくれば、「障害を持った人も持たない人も同じように地域の中で共に暮らすことが出来る」という考え方ですが、ハード面での全国的なバリアフリー化の充実状況を見てみますと、最近、やっと都市の中心部の目立った道路や駅などは、少しずつ改善されてきていますが、地方などを含め全国的に見れば、家の中にしても道路も駅などにしても、段差などのバリアがまだ一杯あるのが現実です。
時には、障害のある人には勿論のこと、障害のない人にさえ、障害となっている住宅や街の危険箇所がまだ多く存在しています。また、その整備の充実の度合いは、かなり地域差が大きく、まだまだ点や線としてのレベルに留まっているのではないかと思われます。従って、「障害を持った人が思った時に、周りの環境や他人のことを気にせずに、自分の力だけで日常生活ができ、街の中へも出かけられる」だろうかと考えてみますと、現実にはこれからだということが分かります。バリアの多い劣悪な居住環境や社会環境は、本人にとっての問題だけに留まらず、結局は、家族や社会全体の負担を大きくしますから、出来るだけ早急に住みやすい居住環境等を整備していく必要があります。
バリアフリー化について 2002.1.18
日本の住宅は、国も最近バリアフリー化へ向け急速に施策展開をし、バリアフリー化が大切であるとの気運が高まり始めているものの、日本全体の充足状況をみてみると、一般的に供給されている民間や公的な住宅に関しては新築・改造を合わせても、現時点ではまだ残念ながら十分にバリアフリー仕様にはなっているとは言えません。
特に、公営賃貸住宅など既存の公的な住宅については、段差の解消については殆ど無理があることと、可能な範囲で改造して住みやすくしようとしても退去時の現状復帰の条件があるため簡単には改造が出来ない状況になっています。従って、高齢になり事故や病気などによる身体状況の低下が起きると、そこに住み続ける事が困難になってきます。しかし、そのような時、新築時から本人の寝室と水廻りそして玄関迄のいわゆる「基本的生活空間のルート」がバリアフリー仕様に出来ていれば、少々身体状況が低下してきても、あるいは介護を受ける様になっても、あるいは不便な所があれば簡単な改造で済み、費用もそれ程掛からず、かなりの期間住み続ける事が可能となってきます。
今後、日本においても全ての民間の住宅や公的住宅などの「基本的生活空間のルート」を前もってバリアフリー仕様にした良質の住宅ストックをもっと増やしていく必要があると考えます。
バリアフリー:共通部分と個別対応 (2002.2.27)
前項に続き「バリアフリーデザイン」と「ユニバーサルデザイン」について別の角度から考えてみます。
「バリアフリーデザイン」は、「自立生活や社会参加などを阻害するさまざまの障害を取り除く」という意味では、本当は「心のバリアフリー」まで入れなくてはいけないのでしょうが、一般的には狭い意味で、「物理的なバリア」を解消するために「利用対象者を特定化したり、その対応を特別化する」事を「バリアフリーデザイン」という言い方がされています。
しかし、私は「バリアフリーデザイン」のカバーする範囲の定義をもう少し広くしても良いのではないかと考えています。個別の障害への対応をした場合にも結果としては、ある部分は誰にでも便利だという「ユニバーサルデザイン」と共通する領域があり、その他の部分は個別の障害への対応ということになります。
つまり、全ての対象を共通のコンセプトに従ってデザインすれば、必ず一部の障害には支障のでてくる人もいますから、共通のデザインをして全ての人が使えるようにすることは大変難しい事です。つまり、さまざまの障害に対して、それを解消するためにハード的対応を考える場合に、結果として、多くの人達に共通に対応できる部分と、それぞれの障害に対してどうしても個別に対応せざるを得ない部分が生じてきます。
例えば、車いすの人と杖歩行の人を考えてみますと、移動する場合、床が平らであれば双方に共通で便利なものですが、廊下や通路の手すりや階段などは車いすの人にはあまり使えない不要なものになったり、時には障害になる場合さえあります。また、車いすの人のために、段差をスロープなどで段差解消する場合を考えますと、パーキンソン氏病などの障害の場合には、行動制御がままならないため下り坂で歩き始めると止まることがなかなか出来ずに、スロープでは追突を起こしたりしてしまうため事故を起こしかねず、逆に緩い階段のほうがよい場合があります。しかし、スロープはそれらの一部の人を除けば、その対応は足腰の弱った人、子供、妊婦など誰にも便利なものであり、「ユニバーサルデザイン」の考え方として提示されている部分と殆どラップしているということができます。このように、共通に対応できるものと個別に対応しないと駄目な部分があります。
視覚障害者や聴覚障害者などの場合は、障害が違うようにそれぞれかなり対応の方法も違ってきます。例えば、車いすの人と視覚障害者では、最近は日本中至る所で見掛ける公共施設や道路に敷設された点字ブロックに対する考え方は、全く逆になる場合があります。しかし、同時に要求される対応です。車いすの人達は、腕力が弱っているため2p程度でも乗り越えられない人もいます。介助の場合でも段差があると大変です。点字ブロックの突起は0.5p程度あり、乗り越えるのは良いとしても通行時にがたがたして操作に支障が生じます。そのため、段差部はスロープにするなど段差が全くないことが望まれます。それに対し視覚障害者の場合は、点字ブロックや段差などで自分の位置や場所を認識することがあるため、そのようなものが無いと境界が分からず危険なので段差があった方が良いとの意見もあります。このように、「障害の違いによって必要とされる対応が違うということは、その部分については共通したデザインで物が作れない。」という事でもあります。もし対応するとすれば両方を同時に用意しておく必要があります。しかし、現実にはスペースやその他のさまざまの条件によってそう簡単な事ではありません。
双方からのアプローチ (2002.5.6)
こういう機能やデザインであって欲しいという個別の要求と、それらを不特定多数に合うようすり合わせしようとすると、現実はなかなか難しい一面を含んでいます。 その意味では、公共建築や公共交通などの建物や駅や車両など多くの人達が共通に利用する日常生活の必要最小限ベースとしての「ユニバーサルデザイン」とそれだけでは対応できないそれぞれの障害などの個別性にも対応する「バリアフリーデザイン」の双方がうまく補足し合いマッチして初めて全体の環境デザインがカバーできるのだろうと考えられます。従って、 「ユニバーサルデザイン」と「バリアフリーデザイン」について語る場合、どちらが勝っていてどちらが劣っているという観点ではなく、双方のカバーする範囲をよく考えてその違いの部分を良く認識して取り組むべき課題だろうと考えます。つまり、広くカバーするといわれているものが、必ずしも全てをカバーできないように、対応の方法や幅は障害の種類や程度によっても違うのだという点が大切な視点ではないでしょうか。
このように、障害の種類や程度の違いによる対応の調整は、現時点ではまだ解決していない部分が残っています。それぞれの人の身体状況や立場の違いに立った、現実的な対応を更に考えていく必要があるだろうと思います。
日々の器(2002.3.8) |
地域との係わり 2002.1.18
住まいをバリアフリー化することは、障害を持った高齢者や障害者達にとって大変に有効に役立つものであり、住み慣れた住まいに住み続けるためには欠かせない重要な要件です。また、そればかりでなく、段差解消や便所や浴室の手すりなどは、本人以外の家族などにとっても危険を防止し安全を確保し、共通に有効で役に立つものがあることが多いのです。これは、最近、頻繁に言われるようになってきたユニバーサルデザインの考え方と同じ考え方になります。しかし、住まいの中のバリアフリー化が進めば、それで高齢者の日常生活の中の障害は全て無くなるのかというといささか課題が残ります。 |